万葉から吹く風

2010年11月26日

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みうらじゅん

1958年、京都府生まれ。武蔵野美術大学卒業。イラストレーター、漫画家、作家、ミュージシャンと幅広く活躍。仏像好き、奈良通としても知られる。『見仏記』シリーズ(角川文庫)ほか著書多数。

佇む 平城京
悠久の時 超えて
教えて 平城京
それでも人は 生きて空〔くう〕?

 と、いう詞をTHE ALFEEのメンバー、高見沢俊彦さんのソロ・アルバムのために書きました。タイトルは『HEY! JOE!』、勝手に平城遷都1300年のテーマ曲のつもりで高見沢さんも歌っておられます。

 先ずは、おめでとうございますで、いいんですよね? 都が奈良にやって来たんですからね。

 でも、一体それを誰に向けて言っているのやら、1300年という時の流れはあまりに遠過ぎます。

photo:井上博道

 小学生の頃から仏像が好きで今まで何百回と奈良を訪れましたが、悠久の時を超えて今も、“ここに”天平時代の仏像が存在する不思議を毎回感じます。色は失われ、破損した部分もたくさんありますが、造られた当時の人々がその存在をどう見ていたのか、考えれば考えるほど気が遠くなります。

 始まりがあれば終わりがある。いや、そもそも目に見えるものには実体がない。と、仏教は説きますが、理解しようと思えば思うほどまたも気が遠くなっていくのは何故でしょう。それが“もののあわれ”というものでしょうか?

世間〔よのなか〕は空〔むな〕しきものと知る時し
いよいよますます悲しかりけり
                                       
(巻5-793 大伴旅人)

 『万葉集』は学校で少し習って以来、読む機会がありませんでしたが、私自身も歳を重ねその“空しきもの”を実感として捉えることが出来た今、この歌はグッとくるものになりました。

 気の遠くなる存在であった万葉人も実は私たちと同じような感情を持って生きていたこと。人間の一生なんて、本当ちっぽけなもの。真理というか有りのままを受け止められる歳になってくると、いよいよますます悲しくなる。それはいつの時代でも同じです。

生ける者〔もの〕遂〔つひ〕にも死ぬるものにあらば
この世にある間〔ま〕は楽しくをあらな
                                       
(巻3-349 大伴旅人)

 メソメソしていても始まらないので、生きている間くらい楽しくしなければとも大伴旅人は詠んでいました。そんな感情の起伏が人生の正体。人は生まれた瞬間からが余生なのです。

 平城宮跡に今年も訪れました。この更地に佇んで万葉人の気持ちに浸ると、私もいつか気の遠くなる時の向うに行くことを知りました。
 



 


 

◆ 「ひととき」2010年11月号より

 

 

 

 

 
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