オトナの教養 週末の一冊

2018年4月19日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

――累犯受刑者のなかには知的なハンディキャップや精神疾患を抱えている人が多いと言いますね。そうなるとかれらをどうするのかというのは難しい問題ですね。

杉山:彼らを犯罪者とするのか、それとも支援を必要とする人たちとして、犯罪を犯さなくて済むようにするのかという課題は、これまでも社会が常に抱えてきたものではないかと思います。近代社会の司法の問題へと行き着く。本来はその前提から考え直さないといけないのかもしれないですね。

――子どもを虐待死させてしまう保護者に、知的なハンディキャップや精神疾患を抱えている人がいるとのことですが、そういうものを抱えていない人たちでも虐待をしてしまう人はいます。その差はどこにあると考えていますか?

杉山:まず、どこまでを虐待と考えるのか。虐待の通告数自体は増加しています。しかし、通告された子どもたちが虐待と認定されて、施設などに保護され、ケアを受けるか否かは、実はその地域の施設にどれだけ受け皿があるかによるんですよね。受け皿がたくさんあれば虐待件数は増えますし、逆に少なければ虐待と認定される「基準」が上がる。その地域差は実は大きいです。

 ただし、弱者に対する暴力性は、私自身も含めて誰もが根源的に持っているのかもしれない。たとえば、疲れているときは「なにをやっているの!」と怒鳴ってしまうけど、同じ人物が元気なときには「大丈夫?」と言うことはありますし、同じ人間のなかでさえ、基準は動きますから。人が子どもを殺すところまで追い詰めない、適切な制度をもった社会であることは必要だと考えています。人の足場を崩さない社会をどう作るのかということは課題です。子育て中の若い世代を難民にしてはいけないのです。

――公的、民間を問わず子育ての苦悩を相談する機関はあるわけですが、健一の場合は、そういった機関にアクセスすることはしなかったのでしょうか?

杉山:そもそも健一は、そういった機関があることを知らなかったと思います。「保育園の存在は知っていた」と話していましたが、子育ての情報などを発信する機関にアクセスしないといけないという感受性を持っていなかった上に、知的なハンディキャップを抱えていたために、そうした情報にどうやってアクセスするかという知識自体がなかったのだと思います。

――子どもが学校や保育園に通っていれば、誰かが異変に気がつくこともあったのではないかと悔やまれてなりません。しかし、貧困状態にある子どものなかには、たとえば居住地の自治体で子どもの医療費が無償であったとしても、そのことを知らず体調不良でも我慢し、大人になるまで病院で診察してもらった経験がない、ということを聞いたことがあります。

杉山:人の孤立化が進む現在、情報にアクセスできれば生き延びることができ、できなければ生きることさえままならない社会が出現しつつある。また、たとえ情報にアクセスできたとしても、生活保護を受給することへの後ろめたさがある。情報へアクセスし、それを使うことができる人たちというのはコミュニケーション能力があり、人とつながることができる。アクセスできない人たちは、コミュニケーションがうまく取れないので孤立しやすい。つまり、貧困は情報格差や孤立の問題とも地続きです。

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