今年3月、全国の警察が児童相談所に虐待の疑いがあると通告した子どもの数は04年以来13年連続で増加していると警察庁が発表した。保護者と子どもに一体何が起きているのか。長年、虐待をはじめ、家族や子育てをテーマに取材を続け、『児童虐待から考える』(朝日新書)を上梓したルポライターの杉山春氏に「虐待をしてしまう親の特徴」「虐待を減らすためには」「虐待が社会に訴えるもの」などについて話を聞いた。
――今回の本に限らず、これまでにも『家族幻想:「ひきこもり」から問う』(ちくま新書)など家族や子育てをテーマにした取材をされています。その理由や、その中での本書の位置づけを教えてください。
杉山:バブルが崩壊した1990年以降、それまで育児誌などのメディアであまり目にしなかった「子どもを叩いてしまう」といった読者投稿や、うまくいかない子育てをテーマにした漫画などが度々掲載され、子育ての大変さが注目されるようになりました。厚生労働省は児童相談所での児童虐待相談対応件数を発表し始めます。
同時期に、私自身も出産を経験し社会のこれまでと違う雰囲気に「子育てをうまくできるか」と考えるようになり、子育てをテーマに取材を始めました。
またちょうど出産前に『満州女塾』(新潮社)という本を書いたところでした。女塾とは、国策によって、旧満州国内につくられた花嫁学校のようなもので、貧しい家庭の出身者を中心に10代~20代前半の女性たちが当時の日本の植民地政策下の満州国へ送り込まれました。その本の取材で、女塾の卒業生たちに聞き取り取材をしました。
1945年の日本の敗戦で、満州国が崩壊します。夫たちは根こそぎ招集で兵隊に取られ、女性たちは幼い子どもを連れて、難民化します。そんな女性たちの間では、子どもを食べさせるために自分の性を差し出すことや、子捨てや子殺しが起きました。その時中国人に預けられた子どもたちや中国人の妻となった人たちは、残留邦人と呼ばれていますね。
そういった状況と、私が子育てに関心を向ける中で目にするようになった虐待事件が重なって見えたんです。国の制度が崩壊すると、子殺しでも性被害でも、なんでも起きると。そこで、満州から戻ってきたご夫婦にそのように感想を述べると、「自分たちは国によってそういった状況にされたのであって、虐待は自分たちの都合ではないか」と叱られました。しかし、私には、孤立して子育てをして、その挙句に子どもを亡くしてしまう親たちの姿は、戦争中の避難民そのものに見えたのです。
その後さまざまな場所で講演をさせていただき、満州で起きたことと虐待を結びつけて話すと、みなさんが納得してくれた。満州での出来事と、虐待などを結びつけて考える必然性を感じるようになりました。
これまでルポルタージュは、取材内容を時系列に並べ、客観的に書いてきましたが、今回の『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』はこれまで書いてきた事件も使って、自分なりの論考を加えました。それがこれまでの本との違いです。