「あたしおかあさんだから」の歌詞で応援された気持ちになる人は、「自己犠牲している自分」に陶酔しているのではないか。
まるでノイローゼ
「あたし、おかあさんだから」×14
『血の轍』という漫画がある。1981年生まれの人気漫画家、押見修造が昨年スタートした新連載だ。この作品で描かれるのは、専業主婦である母親の息子への「愛情」である。なぜカッコ付きで「愛情」と書くかは、作品を読めばわかるだろう。母親である静子は間違いなく中学生の息子・静一を愛しているが、愛がゆえに静一と一対一の依存関係を結ぼうとする。一見、ごく普通の日常。その中にある真綿で首を締めるような愛情を、『血の轍』は描いている。一方的な愛は、ときとして人の行動や意見、思考を奪うことがある。
2月2日、絵本作家の「のぶみ」が歌詞を担当した新曲が完成したことをつぶやいた。「あたしおかあさんだから」と名付けられたこの曲は、11代目うたのお兄さんである横山だいすけが歌唱し、冠番組でも放送された。この歌詞がツイッター上で拡散すると、「呪いみたい」「母性信仰の押し付け」といった多くの批判が殺到する炎上状態となった。「#あたしおかあさんだから」とともに「#あたしおかあさんだけど」を使った投稿も数多く投稿されている。
この曲には、「あたし、おかあさんだから」というフレーズが合計14回登場する。「おかあさんになれてよかった」も4回。詩や歌で印象的なフレーズが繰り返されるのはよくあることとはいえ、言葉が言葉だけに「ノイローゼみたい」という感想を持つ人がいるのも頷ける。また、「あたし」と「だから」の繰り返しは大人の女性の言葉というより、まるで就学前の子どものセリフのようだ。
重くて息苦しい、自己犠牲の押し売り
歌詞の中で、この「おかあさん」は、子どもが生まれたことでネイル(恐らくネイルアート)やヒールの靴をやめたと歌われている。仕事も辞めてパートになり、ライブへ行くことや自分のために服を買うことを「ぜーんぶやめて いま、あたしおかあさん」。
なぜ「おかあさん」が、こんなに自分のやりたいことを我慢するのか。それは次のような言葉で説明される。
「あたし おかあさんだから あたしより あなたの事ばかり」
「だってあなたにあえたから」
「あなた」とは、もちろん子どものことである。