2024年4月20日(土)

ネット炎上のかけらを拾いに

2018年2月6日

 大人の場合、「おかあさん」もしくは「おとうさん」目線でこの歌詞を読む人が多いのかもしれないが、ここでひとつ、子ども目線でこの歌詞を味わってみる。

 個人的な感想だが、怖い、重い、息苦しいとしか思えない。自分がいかに「あなた」のために自己犠牲をしたかについて一方的に訴えかけてくる歌詞だからだ。まるで美談のように。これは愛の押し売り、愛の押し付けではないか。

 作詞者であるのぶみは、これは母親への応援歌であり、複数の母親から話を聞いてリアルな気持ちを歌詞に込めたという。確かに母親への応援歌かもしれないが、これで応援された気持ちになる人は、自己犠牲に陶酔しているのではないか。

 暴力やネグレクトなどの虐待は犯罪である。しかし、愛情の押し付けは犯罪にはならないし、むしろ美談のように語られる。無償と言われる母の愛は、本当にいつでも無償なのだろうか。自己犠牲の代わりに目に見えない対価を子どもに求め続ける親もいる。

子ども向けを装った大人のための感動ポルノ

 これまでにも、のぶみの絵本作品は物議をかもしてきた。

 たとえば「ママがおばけになっちゃった」は、母親が事故で亡くなってしまう子どもの絵本だが、「母親の死という重いテーマを、子どもが親に感謝するように仕向けるために使っている」といった批判がある。親の満足や感動のために子どもに「感謝」を強いる、「2分の1成人式」への批判とも似ている。

 また、「ママのスマホになりたい」は、スマートフォンばかり見ている母親に不満を感じる子どもの話。子どもが母親に向かって繰り返し「わかんねえよ」と言うなど、作中の言葉遣いが悪いという指摘や、なぜ「パパ」ではなく「ママ」だけが責められるのかといった批判がある。

 これまでも指摘されていることだが、今回の「あたしおかあさんだから」にしても、絵本にしても、子どもと向き合い育児をするのは基本的にいつも母。そして、子ども向けの体裁をしつつも実際は子ども向け作品ではなく、子どもを使って母を感動させたり、反省させたりすることが目的の“大人向け”作品だ。

 大人が自分自身を納得させたいときに読む分にはいいのかもしれない。しかし自己犠牲の理由が「あたしおかあさんだから」というド精神論がまかり通る21世紀の日本、いよいよ厳しいものを感じる。

  
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