公立中学が挑む教育改革

2018年9月3日

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多田慎介 (ただ・しんすけ)

ライター

1983年、石川県金沢市生まれ。大学中退後に求人広告代理店へアルバイト入社し、転職サイトなどを扱う法人営業職や営業マネジャー職を経験。編集プロダクション勤務を経て、2015年よりフリーランスとして活動。個人の働き方やキャリア形成、企業の採用コンテンツ、マーケティング手法などをテーマに取材・執筆を重ねている。

人の心なんて教育できるものではない

工藤:叩く人ですか?

木村:従来型の教育、30年前の社会に通用していたような教育を延々と続けている現場の人が叩いていました。岡本さんは「30年前にやっていた教育を続けていてはいけない。10年先、20年先に向けたアンテナを張らなければいけない」と指摘していた人でしたから。

工藤:私はその指摘に深く共感しました。特に印象に残っているのは「内心の自由を大切にすべき」という点で、振り返ってみればこれは、私が教員になる前から思っていたことなんです。

 

木村:そうなんですか。

工藤:教員になりたての頃、私は子どもたちに「『人の心がどうだ』なんてたやすく言うな。自分の心のことさえ分からないんだから」とよく話していました。でも、そう言いながらも、その頃の私はきっと心にこだわっていたのだと思います。

現在、心の教育が大切だということを疑う人はほとんどいないでしょう。でも「目的と手段」という言葉を使って考えてみれば、「良い行動ができる人間を育てること」が目的で、心の教育はそれを実現するために行う「手段」ということになります。とすれば、見えない心を鍛えることも大事かもしれませんが、本当に大切なのは「行動」です。しかし現実には、良い行動を行なっている生徒に対して「内申点目当てなんじゃないか」と勘ぐったり、「あいつの心は、本当はああだ、こうだ」と非難したりすることがあります。つまりは「心」にこだわっているわけですよ。

木村:まさに目的と手段が逆転してしまっているわけですね。

工藤:そもそも、人の心を理解するなど、簡単にできることではありません。しかし良い行動なら頑張れば誰でもできる。目の前にゴミが落ちていたときに、それを拾うという行動は自分次第でできますよね。同様に、人を差別する心を完全に消し去ることはできないかもしれませんが、差別的な行動を取らないことは意識すれば誰でもできるようになる。私たちが生徒たちに大事にしてほしいと伝えるべきことは「心」じゃなくて「行動」なんです。

木村:同感です。「人の心なんて教育できるものではない」ということでしょう。講演のときにも岡本さんは「心の教育をやっている日本は、世界から笑われているよ」と簡単な言葉で教えてくれました。

工藤:世界には、文化も宗教も民族も違う人が集まる国がたくさんあります。そんな中でもみんなが平和で安全に暮らすために、海外では民主性や市民性を学ぶことが大事だと教えている。だけど日本ではずっと「心を教育しよう」という方向です。

木村:仲良くしましょうね、というのはその典型例ですよね。「子どもがケンカをするのは心が育っていないからだ」なんていう考えは、とんでもないことだと思います。私は子どもたちに、「別に友だちのことを嫌いでもええやん」とずっと言っていたんです。

 

で、新しく大空小学校に来た教員が子どもたちに「人を嫌ってはいけない」なんて言っているんですね。私はその教員に「なんでそう思うん? あなたも嫌いな人くらい、いてるやろ?」と問いかけました。

工藤:岡本さんの言葉をあえて借りるならば、誰かを嫌いだと思うのは「内心の自由」ですね。

木村:はい。心の中で相手を嫌いだと思うのは自由だけど、それを口に出したり行動に移したりはしない。これが「行動の教育」ですね。子どもたちはあくまでも行動を学べばいいのであって、心の中で嫌いだと思うのはしかたがないことです。

工藤:私もまさに同じ考えです。

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