赤坂英一の野球丸

2018年11月14日

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(RBFried/Gettyimages)

 今年の日本シリーズはソフトバンク側よりも、主として34年ぶりに日本一を達成できるかどうかという広島側の興味で語られることが多かった。が、結果はご存じの通り、広島が1引き分け1勝4敗、それも第3戦からの4連敗でほぼ為す術なく敗退である。

 そうした中、ひとりだけ悲願を叶え、「34年ぶり日本一」の喜びを味わったカープOBがいる。ソフトバンクのヘッドコーチとして戦った達川光男さんだ。テレビやスポーツ紙には触れられていなかったが、カープが34年前の1984年、いまのところ最後に日本一になったときの正捕手だった人物である。

 達川さんが77年秋のドラフト4位で東洋大から入団後、カープは79、80年とシリーズを2連覇している。ただし、達川さん自身は当時まだ水沼四郎、道原裕之に次ぐ3番手の捕手で、出場機会はなかった。大卒6年目の83年にやっとレギュラーに定着し、優勝した翌84年、29歳の正捕手としてシリーズへの初出場を果たしたのだ。ちなみに、この年に自身初のベストナインも受賞している。

 「ほいじゃけど、はっきり言うてシリーズで勝てるとは思わんかったよ。相手は黄金時代の阪急(現オリックス)じゃもん。4番は3冠王のブーマー(・ウェルズ)で、その前後に福本(豊)さん、簑田(浩二)さん、若手じゃった松永(浩美)らがズラッと並んどる。先発は山田(久志)さん、佐藤(義則)さん、今井(雄太郎)さん。完全に名前負けしとった。あの(ビジター用の)ブルーのユニフォームを見ただけで、絶対に勝てんと思うた」

 この84年のシリーズも今年と同様、広島の本拠地からスタートした。いまのマツダスタジアムよりも一回り狭い広島市民球場だった当時、選手が萎縮してはまずいからと、古葉竹識監督は阪急の打撃練習を見ないようにとバッテリー陣に指示している。が、達川さんは、ネット裏記者席の陰から、こっそりブーマーたちのフリー打撃に目を凝らしていた。

 「みんなよう打っとった。ピンポン球みたいにスタンドに入れての。ウチの(山本)浩二さんの1.5倍は飛ばしとったわい。あれほどの打線を抑えるには、とにかく徹底した内角攻めでいくしかない。相手バッターがのけぞってよけにゃいけんくらい、えげつなくインサイドを突いていこう、と考えた」

 しかし、いくらそう開き直っても、第1戦で初の先発マスクをかぶったときには、予想以上に緊張したという。一回表の守備だけで喉がカラカラに渇き、ベンチに帰ってくるや、隅にある冷水機の吸い口にかじりついて延々と水を飲み続けたそうだ。

 「あの水はうまかった。水を飲んじゃいけんと言われとった広商(広島商業)時代、練習中に隠れて飲んだ水以上の味じゃった」

 シリーズならではの独特の緊張感は、第7戦が終わるまで途切れることがなかった。第4戦で3勝目を挙げて先に王手をかけても、「これなら勝てるかもしれない」とは思いもしなかったという。

 そのせいか、阪急に第5、6戦と連敗して逆王手をかけられ、3勝3敗のタイで第7戦を迎えたときは、「やっぱりここまでかなと思うて、かえって気楽な気持ちで臨むことができた」そうだ。そのぶん、自然体で戦えたことが、第7戦に7-2と圧勝し、日本一になれた最大の要因だったのかもしれない。

 そんな達川さんも、86、91年にシリーズで激突した西武には、「絶対に負けん」と闘志を剥き出しにしていたものである。巨人V9時代(66~74年の9年連続優勝と日本一)の名捕手として知られる森祇晶監督が、「広島とのシリーズは達川の頭脳との戦いになる。あの意表を突くリードに裏をかかれないようにしないと」と発言。これに達川さんが「森さんは何を言うとるんや。人をバカにするにもほどがあるわ。自分が育てた伊東(勤)が上と思うとるけえ、そういうことが言えるんじゃ」と食ってかかったのだ。

 しかし、今年や84年と同様、広島の本拠地から始まったこの86年は、1引き分け3連勝と、またしても先に王手をかけたカープが4連敗してしまう。球史に残る大逆転劇の口火を切った西武側のヒーローは、第5戦の延長十回から登板した現ソフトバンク監督の工藤公康だった。赤ヘル打線を0点に封じ込み、レギュラーシーズンでは立つことのない打席で、延長十二回にサヨナラ安打を放ったのだ。

 工藤に痛恨の一打を喫する直前、いわゆる〝ささやき戦術〟を得意にしていた達川さんは、「おい、ユニフォームのボタンとちゃんとかけとかんか」と工藤に声をかけた。工藤はこのころ、ウエートトレーニングで胸回りが大きくなり、仕方なくボタンを上から2つはずしていたのだ。それをだらしない格好だと達川さんに言われ、カチンときたらしく、「あの一言で絶対に初球から打っていこうと思った」と、のちに語っている。

 その結果がサヨナラヒットで、広島4連敗のきっかけにもなったのだから、勝負事は何が災いするかわからない。

 あのときの敵だった工藤がその後、ソフトバンク監督となり、達川さんがヘッドコーチとして支えることになろうとは、本人たちも想像していなかっただろう。ちなみに、今年のシリーズで第1戦を引き分けた直後、達川さんはこう言っている。

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