佐藤忠男の映画人国記

2012年11月28日

»著者プロフィール

 淡島千景(~2012年)は1924年、荏原郡矢口村大字蓮沼(現大田区東矢口)の生まれ。両親は日本橋で羅紗地の輸入をやっていた。幼い頃から、もと松竹のスターで日本舞踊水木流の家元だった栗島すみ子の稽古場に通っている。戦争末期に宝塚音楽歌劇学校に入り、戦後すぐ歌劇団で娘役のスターになる。社会はどん底の貧しさだったが、それだけにいっそう宝塚歌劇は女性解放の輝きにあふれ、その輝きを求める映画界からの引き抜きが激しくくりひろげられた。淡島千景はなかでも解放感あふれる活発さが買われて、戦後派的な元気な役柄で松竹の諷刺喜劇「てんやわんや」(1950年)の主役に起用される。こうしてすっとんきょうな役柄で売り出されたのだが、代表作となったのは森繁久彌と共演した「夫婦善哉」(1955年)で、意地でがんばりぬく伝統的な女の役だった。

 入江たか子(~1995年)は1911年、四谷の生まれ。本名は東坊城英子(ひがしぼうじょうひでこ)で公卿の家柄である。俳優だった兄の誘いで京都の新劇の劇団に入り、映画にスカウトされ、絶世の美女といわれて大スターになった。無声映画の末期に代表作のひとつの溝口健二作品「滝の白糸」(1933年)を自分のプロダクションで作っている。見るからに弱々しく触れなば折れんという美女だったことで、男たちの我こそはこの貴婦人を護る騎士でありたいという願いをかりたてる存在だった。戦後はいい役がなく、B級怪談映画で化け猫役までやった。晩年はバァのマダムをしていて、通勤の姿を渋谷駅でお見かけした。

 岩下志麻は1941年銀座四丁目の生まれ。両親とも新派の俳優だったのでNHKのプロデューサーにさそわれて高校時代からテレビドラマに出ていた。女性映画の名門である松竹大船撮影所に迎えられ、「秋刀魚の味」(1960年)「古都」(1963年)など、この撮影所ならではの情感豊かな作品でヒロインをつとめた。篠田正浩監督と結婚して彼の野心作「あかね雲」(1967年)「心中天網島」(1969年)「はなれ瞽女おりん」(1977年)などで演技派としての幅を広げた。さらには「鬼畜」(1978年)の悪女ぶりや「極道の妻たち」(1986年~)の凄味。

 大竹しのぶは品川の生まれ。しかし幼い頃に埼玉県飯能市の田舎に移って山の中を走りまわって成長した。野性味たっぷりの演技の基礎はそこで身につけたのだろう。デビュー作だった「青春の門」(1975年)から体当たり的なひたむきさで圧倒されたものだ。

 岡田茉莉子は1933年、渋谷区代々木の生まれ。サイレント映画時代の代表的な二枚目スターだった岡田時彦の娘としてデビューした。若い頃その岡田時彦で洒落た映画を何本も作っている小津安二郎が「秋日和」(1960年)でも上手く使っている。代表作は自分でプロデュースもした「秋津温泉」(1962年)だろう。

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