2024年4月26日(金)

あの挫折の先に

2012年11月20日

 彼女は2年目に、東京本社でマーケティングを担当することになった。彼女にしてみれば青天の霹靂だったようだ。しかし、彼女は会社の意図をこう読んだ。

 「当時『若年層のビール離れ』が話題になっていました。どうすればこの層に振り向いてもらえるのかを考えろ──それが私に与えられた命題なのかな、と考えました。」

田代はどうしたいんだ?
一番ツライ質問だった

 担当したのは、会社のフラッグシップブランドである『一番搾り』。しかも、担当者が2人しかいないうちの1人だから、プレッシャーも大きかった。彼女は大学でマーケティングに関する学問を学んだこともなく「パワーポイントもエクセルも使えない」(田代)。そんな右も左もわからない彼女に、上司は思いやりなのか、何か話し合う時は必ず、こんなひと言を投げかけてきた。

 「田代はどうしたいんだ? と聞いてくるんです。でも当時はどうしたいと言われても、それすらわからず来ていたので、提案も何もなかったんですよね」

 田代が答えに窮しても、上司は必ず「どうしたいの?」と聞いてくる。当然、正解など見えるわけがない。そんな中、彼女が思い出したのは、神戸時代の駐車場の風景や、スーパーのゴミ置き場の風景だった。

 「どの仕事もそうかもしれませんが『こうすれば売れる!』という正解はありません。たとえ商品が売れても『別の施策を打てばもっと売れたかも』という不安は残ります。しかし、商品を変えるとなれば、周囲を動かさなくてはなりません。営業本部、生産本部など、多くの人に納得していただかなければ、会社は動かせないのです。そのためには、自分自身でデータを集め、仮説を立て『絶対にこれしかない』と信じ込める何かを探すしかないんですよ」

 彼女は、自分自身が「へぇ!」と思える提案ができるよう、再び、自分の目でデータを探し始めた。


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