障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年1月9日

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 その当時、スラムダンクというバスケットボール漫画が大人気だったこともあって、三阪も中学へ進学したら、バスケ部に入ろうか、ラグビー部にしようかと心が揺れていた時期だっただけに、「ラグビー部へ入れ」という先輩の言葉が後押しになった。

 中学入学後、初めて出た試合に負けて、悔しい思いをしたことがキッカケで、ラグビー漬けの毎日が始まった。こうしてラグビーの魅力にはまっていったのである。

 高校生ラガーマンの夢は『花園』でプレーすることにある。だが、『花園』という麗しげな響きとは裏腹に、そこまでの道程は激しく険しい。特に大阪地区の参加校は日本一多く、全国屈指の激戦区と言われている。それだけにレベルもずば抜けて高かった。

 もちろん中学時代の三阪の夢も『花園』出場である。

 進学先を考えていた時期に全国大会大阪地区予選の決勝戦で「啓光学園対布施工業」の試合を見た。強豪の啓光学園を相手に真っ向勝負を挑む布施工業に「この高校でラグビーがしたい」と胸が躍った。

ラグビー漬けの毎日
練習中の事故

 そして、三阪は大阪府立布施工業高校(現大阪府立布施工科高校)に進学。

 日本一の激戦区大阪らしく、『花園』を目指し、三阪の生活はさらにラグビー漬けの度合いが濃くなっていった。

 「新しいことをどんどん教えてもらい毎日が刺激的でした。正式にレギュラーとして試合に出られるようになったのは3年生からです。ポジションはナンバー8。なんとか取れたという感じのレギュラーでした」

 6月16日、その日も母親に起こされ学校に行くという、いつもと変わらないごく普通の一日のはずだった。けれど、練習中に事故は起きた。

 三阪がこぼれ球にセービングした直後のことだ、「もう一度起きて走れる!」と判断し、立ち上がろうとした中途半端な体制の時に、敵味方がなだれ込んできた。

 痛みはまったく感じなかった。

 「ただ太いものが物凄い勢いで切れるような音がしました。それと同時にグラウンドに仰向けに倒れていました。今でこそ腕が動きますが、そのときは首から下には何もないような感覚でした。手も動きませんし、何がどうなっているのかまったくわからない状態でした。運動中なので息があがっているのですが、呼吸機能が停止していたのでとにかく苦しかった。周りがあわただしくなって、スパイクを脱がされたりしてるんですが、僕にはまったく感覚がないんです」

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