この熱き人々

2014年10月10日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

石が彫りたくて

 1978年、25歳の外尾は、サグラダ・ファミリアを目指してバルセロナにやってきたわけではない。そもそもサグラダ・ファミリアもガウディも深くは知らなかった。3カ月の予定だった旅、しかもたまたまやってきたこの地に、まさか36年も住み続けることになろうとは本人も予想すらしていなかった。出会いは偶然。それも幾重にも折り重なった偶然に導かれるような展開だったという。

 当時、外尾は京都市立芸術大学の彫刻科を卒業し、いくつかの高校の非常勤講師を務めていた。「教師は、おぼれるくらい魅力的な仕事でしたよ。もしかしたら、ずっと続けられたかも」と振り返る。でも、そんな魅力の海から自ら上がってしまった。きっかけは、運転中に信号で停止した外尾の目が、路側帯に積まれた石の山を捉えてしまったこと。

 石を彫りたい。偶然目にした工事用の石が、教師生活の面白さで鎮まっていた石への思いに火をつけてしまった。小さい時からモノを作ることが大好きだったという。

 「電車で遠くの小学校に通っていたので近所に遊ぶ子がいない。粘土で何か作ったり絵を描いたりするのが楽しみでした。たまに誉められたりするわけですよ。誉めた人は軽い気持ちでも、誉められたほうはすごくうれしい。上手なのかってカン違いさせてくれる。それも力ですよね」

 そんな少年時代は、石が風にそよぐかのように繊細で「天使は石から掘り出されるのを待っていた」と称賛された、生誕の門の天使像を彫る姿と重なるような気がする。が、一方、外尾少年のひとり遊びの楽しみは芸術系インドアだけでなく、冒険系アウトドアにも存在していた。

 「自転車に乗れるようになると、わざと迷子になって晩ご飯までに家に帰れるかなんて遊びをしていました。知らない道のほうに曲がるのが好きで楽しくて、その癖は今でも抜けません。帰れなくなった時の最終手段として電話代50円を持って行くんだけど、ある日、それを悪い子に取られてしまった。それで強くならなきゃと柔術を習い始めました」

 刀は抜いたら最後、命のやりとりになる。刀を抜かないで身を守る術。これも、悪ガキとの遭遇がもたらした副産物として外尾の中に取り込まれた楽しみになった。

 大学は、父を亡くして女手ひとつで育ててくれた母の負担にならない防衛大学か、モノを作りたい思いの先の芸術大学か。まるで違う2つの道の、芸術大学のほうに曲がった。

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