2024年4月26日(金)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2016年1月24日

 「こんなに幸せな野球人生はない。最後はプロ野球の球団にクビと言ってもらえたんやから」

 プロ野球で得た一番の財産は、「超一流の考えに触れることができたこと」だという。異例すぎる経歴でプロ野球の世界に入った生山にとって、毎日が非日常であり、クビになったことも含めて、本人の言う通り幸せな野球人生だったのだろう。

 野球を辞めた生山は、ロッテの大塚明コーチの紹介で、「人を幸せにすることが好きだから、向いていると思った」というウェディングプランナーの職を選ぶ。しかし、生山は一度も結婚式に出席したことがなかった。電話の応対、式場の情報のインプット、接客など、朝から晩まで狭い空間でパソコンを操作する日々は、つい数カ月前まで青空の下を全力で駆け回る生活を送っていた生山にとって、この上ない苦痛だった。

 やはり自分には体を動かすことが向いている。辞めようと思ったことは一度や二度ではない。何度も退職を切り出したが、その度に同僚に引きとめられた。もがきながらではあったが、1年が経つ頃には仕事にも慣れ、立派なプランナーへと成長した。

 「1年が経ち、野球ばかりしてきた自分の人生からのリハビリが終わった。次は、いろんな人と会うことに注力した」

 遅くまで続く仕事を続けながら、寝る間も惜しんで人と会った。様々な人間と会う中で、世の中にある多種多様な仕事を知り、自分の本当にやりたいことを見出していく。

 「生山に会った人がみんな幸せになるような、そんな人間になりたい」

 15年いっぱいで、生山は3年間勤めた会社を退社する。普通では手に入らないような経験をしてきたからこそ伝えられることがあると思い、独立を決意。今後は、スポーツ心理学を一から勉強し、野球界やスポーツ界の発展に貢献するという。

 「どんな仕事をしようとも、これからも全力疾走。本気で生きることから、ブレることはない」

 生山の人生にとっては、プロ野球選手でさえ、一つの特殊な経歴に過ぎないのかもしれない。(敬称略)

  
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◆Wedge2016年1月号より

 

 

 

 

 

 


 


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