2024年4月26日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2016年2月28日

 少年期から形を変えつつ抱え続けた葛藤や孤独が、「書く」という、自分と向き合う行為を通して、他者への共感に昇華されていく。そして他者への共感が、彼を「書く」ことに向かわせる。ひとつの幸福な人生の「道程」が、ここには描かれている。

ロードムービーのような面白さ

 サックス先生を知らずとも、本書は「オリヴァー」というユダヤ人でもイギリス人でもあるマッチョで内気な青年の成長物語として教訓に満ち、ロードムービーのように面白い。

 <一二歳のとき、洞察力の鋭い先生が通知表に「サックスはやりすぎなければ成功する」と書いていて、その言葉どおりのことが多かった。少年時代の私はよく化学の実験でやりすぎ、家中に有毒ガスを充満させた。さいわい家を焼き払うことはなかったが。>

 <そこ(クイーンズの図書館の地下室)では、そんな貴重な本をすべて自由に利用することができた。特別な鍵のかかった希少本室ではなく、ただ棚に並んでいる。初版が刊行されたときから、ずっとそこにそうして並んでいたのだと、私は想像した。クイーンズ・カレッジのまさにその地下の倉庫で、私は歴史に対する観念と自分自身の言葉に対する感覚を身につけたのである。>

 才気煥発だが、「やりすぎて」しまうオリヴァーは、失敗談に事欠かない。たとえば、好きなバイクで大学へ急いだら、9カ月分の実験ノートがバラバラになって飛んでいった。何千匹というミミズを「大虐殺」し、10カ月かかって抽出したミエリン(太い神経線維を覆っている脂肪質の物質)も、あろうことか紛失した。

 <私の才能を否定する人はいなかったが、私の欠点を否定できる人もいなかった。やさしく、だがきっぱりと、上司は私に告げた。「サックス、きみは研究室の脅威になる。患者を診察したらどうだろう。そのほうが害がないから」。そんな不名誉な経緯で、私の臨床医としてのキャリアが始まった。>

 <一九六六年は、薬物をやめようとあがく暗い一年だったが、暗かった原因はそれだけではない。研究が行き詰まっていて、この先もらちがあかないこと、そして自分は研究者に必要なものに欠けていることがわかりかけていた。満足のいくーーそしてできればクリエイティブなーー仕事がなかったら、薬物に満足を求めつづけたと思う。生きる意味を見つけることがきわめて重要であり、それは私の場合、患者を診察することだった。>


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