秋山真之に学ぶ名参謀への道

2009年12月5日

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兵語界説

  第3回も『天剣漫録』の引用からはじめます。

 「人生ノ万事虚々実々臨機応変タルヲ要ス。虚実機変ニ適当シテ始メテ其ノ事ナル」                                  (天剣漫録9)

 秋山真之は軍学者になる気などありませんでした。

 軍人としてひたすら敵に勝つ術を考えつづけた。実学の人でした。

 この実学を重んずる明治の気風は福沢諭吉の『学問のすすめ』ではじまります。

 「(学問は)人間普通の実学にて、人たる者は貴賎上下の区別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、身も独立し天下国家も独立すべきなり」

 秋山真之は正岡子規とたもとを分かって、自らの実学の対象に文学でなく戦争を選びました。

 ところが、この戦争というのがじつに厄介な代物です。

 プロシャの用兵家クラウゼウイッツが『戦争論』で嘆いています。

 「戦争は理論上はいかに単純であろうとも、実際にはきわめて複雑であり、理論は行動を指図するものではなく、現実の複雑さを解明し、その相互関係を明らかにするだけである」

 クラウゼウイッツは戦争につきものの偶然を「摩擦」と呼びました。

 秋山真之はこれを虚々実々と形容します。虚実に臨機応変してはじめて戦いに勝てる。

 だからこそと、秋山真之は考えます。

 ——応用するにはまず、基本が確立されていなければならない。

 明治35年7月17日、常備艦隊参謀秋山真之少佐は旗艦「初瀬」の艦上で辞令電報を受け取ります。「免本職、補海軍大学教官」とありました。

 翌年10月28日、秋山教官は連合艦相参謀に任じられ、海軍大学校での講義を1年と2ヵ月あまりで切り上げて海へもどります。

 日本海海戦の奇蹟の大勝利は明治38年5月27日、2年たらず後でした。

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