それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2017年5月18日

»著者プロフィール
著者
閉じる

高森勇旗 (たかもり・ゆうき)

元プロ野球選手

1988年生まれ。富山県高岡市出身。中京高校から2006年横浜ベイスターズに高校生ドラフト4位で入団。田中将大、坂本勇人、梶谷隆幸やと同学年。12年戦力外通告を受けて引退。ライター、アナリスト、マネジメントコーチなど引退後の仕事は多岐にわたる。

 13年、チームは初のリーグ優勝、日本一に輝くも、鉄平は2軍にいた。選手会長でありながらチームの輪に入れずにいる歯がゆさよりも、パフォーマンスが発揮できないことへの歯がゆさのほうが大きかった。年俸は8600万円から4000万円へと、半ば志願する形で減俸となった。直後にオリックスへのトレードが決まった。

 「寂しさよりも、心機一転、もう一度1軍に上がるという気持ちになれた」

 移籍2年目の15年、開幕から好調を維持し、感覚は戻りつつあったが、5月、スイングをした際に腹斜筋を痛める。怪我も治らぬうちに復帰するも、スイングもできない状態だった。

 その後2軍に降格し、チーム事情もあり内野の守備につく。慣れない内野守備の際、坐骨結筋を挫傷し、全力疾走ができなくなった。それでも、試合に出続けた。打率は4割を超え、感覚が戻ってきていることは誰の目にも明らかだった。

 8月、満身創痍(そうい)であったが、走れることを証明するためについた外野守備。ここで、左足のハムストリングスが肉離れを起こす。ついに走ることができなくなった。

 「打つ感覚がかなり戻ってきていただけに、復帰への思いもあった。でも、速く走れない自分が、精神的にきつかった」

 10月末、2軍のマネジャーから来年の契約はしない旨を電話で告げられた。2カ月間、リハビリとトレーニングに励み、他球団から声がかかるのを待ったが、16年1月、引退を決めた。

 「野球の新しい見方を勉強中です」

 引退後は仙台に戻り、現在は楽天のジュニアスクールのコーチとなっている。ヘルメットの下で光る勝負師の目は随分と穏やかになっている。

 「野球人生の終盤は苦しみしかなかった。やっと解放される。正直、ホッとした気持ちもあった」

 引退直後の感情を「解放」という言葉で表現するあたりに、そこに到達した者にしかわからない葛藤が見える。

 「子供たちに、どうやって伝えたらいいんだろう? と、日々試行錯誤しています」

 考えて考えて考え抜いた鉄平の野球人生が、次の世代へと継承されていく。鉄平の目は、未来を向いている。(文中敬称略)

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。

◆Wedge2017年5月号より

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る