2024年4月27日(土)

オモロイ社長、オモロイ会社

2017年10月5日

寿退職してサラリーマンから就農の道へ

 及川さんは、埼玉県出身の現在42才、東京農業大学を卒業後、農業とは無縁の特殊ガスを販売している商社に就職。学生時代とサラリーマン時代のエピソードを2つほど。

 学生時代は4年間ボーイスカウトの経験とビールばかりを飲んでいたと笑いながら話します。及川さんが学生時代に心に残る大きな経験をしたのは、阪神淡路大震災。ボーイスカウトとして大学の代表にもなっていた、及川さん、地震発生後すぐに現地に行き復旧復興のボランティア活動へ。しかしあまりに甚大な被害状況、現地の重苦しい雰囲気に日々明るさを失わない及川さんもあまりに人間一人の無力さを思い知ったそうです。また日本の農業の未来について卒論を纏めていく中で、就農人口の激減していく状況に憂いを持ったそうです。そう思いつつも就職については、一般企業に。就職先の選定では、合同説明会に参加の際、1社1社説明を聞くのではなく、主催社である採用支援系会社の皆さんに、及川さんはアンケートを実施。『あなたならどの会社に入社を希望しますか? 上位3社を教えてください』と質問をし、その筆頭となった会社に迷わず面接を受け合格。その会社へ入社。プロが勧める会社だから良いと思ったところ、現場感、直感を大事にしていると感じます。

 80名の新人代表として入社式に決意表明をし、社会人スタート。会社に依頼したことはたったひとつ。「一番厳しい、数字が悪い部署に配属して欲しい」でした。願いは叶い、栃木県の宇都宮営業所に。1年目、成績は不振でしたが2年目から順調に成果を上げるポイントゲッターに。しかし及川さんは個人の成績より、部署の成績をチームに大事にすることを第一義に考え、部署の成績が如何に良くなるかに腐心する毎日だったそうです。『部署のリーダーである上司が毎回会議で会社上層部から叱責され辛い表情で帰社するのが辛かった』と語ります。部署のメンバーでコミュニケーションを良くし、担当外であろうとメンバーで仕事を分担し、レベルアップを図って最終的には部署の実績は社内のトップレベルへ。

 営業マンとしても優秀な実績を誇っており、このままこの会社に居ればそのままでもなんとかなりそうだなと思いつつも、本当にやりたいことか?と自問自答する中で、学生時代の日本の農業に関する卒論と阪神大震災での経験から、たった一度の人生、やりたいことに掛けてみると決断。6年のサラリーマン生活に別れを告げ、その時結婚を決めた奥さんの実家がある和歌山に「寿退職」をして移住し、奥さんの実家のきゅうり農家を手伝うことにしました。

日本の農業、流通への疑問

 大学卒論で未来の日本の農業の衰退を感じていましたが、現場に入って経験してさらに愕然としたと及川さん。就農1年目、農作業に徹していましたが、全く自分の意見が通らない場面ばかりだったそうです。こうした方が良いのでは?今までの一般常識が通じない、一番の問題は、自分が一生懸命に作った作物が誰からも「美味しい」「ありがとう」という声が届かない仕組みに感じたそうです。農業って、儲からないビジネス?

 「ありがとう」が無い、届かない産業っておかしい。農業は人の胃袋と心を満たす産業、食べる人を幸せにとあるべき姿を感じたそうです。2年目から自力できゅうりを生産し、一定の収益を得られるようになったところから、3年目に直売をしてみることに。営業マンとしての実績が活きて成果が上がる。この時にまわりの農家さんにも同様にやってみれば? と声を掛けるものの、理解はしてもらえ、褒められるものの、同調する農家さんはなかったそうです。農家としての自信が出来てきたところで、今度は、青果店にチャレンジすることに、大阪の青果店の店長として活躍、しかし、農家側からすると高く買って欲しい立場、青果店側からすると安く仕入れたいという、水と油の関係、矛盾に悩むことに。この矛盾を解決すること、流通の変革を仕事にしたいと思うようになったそうです。

50万円での起業

 課題、テーマはあるものの、ビジネスモデル、資金計画、事業計画も全く無い中で起業を決意。奥さんには起業して1年間で軌道にのらない場合、毎月どんなことがあっても10万円は家に入れることを約束に、50万円を資本金に会社設立、株式会社農業総合研究所が誕生することに。会社設立当初、和歌山のインキュベーション施設に入居するも何も前に進まない。

 ちょうどその頃リーマンショックでやることがなくて自宅から持っていったお弁当を公園で食べていると、自分と同じように公園で弁当を食べている男性に声を掛けられたそうです。

 「会社 クビになったの? 自分と同じ?」 

 「いえ、会社起業してやることが無くて」

 正直に答えるとビックリされたそうです。なんとか売上を、仕事をしないといけないと思って、農業とは全く関係ない、パソコン講習を小学校の先生に教えていたそうです。それでも当初の農業に関わる仕事をしてはいけないと思い、思いついたのが農業コンサルタント。自分には営業力はある、農家さんの農産物を大手、百貨店やスーパーに販売、販路開拓をして、農家側からコンサルフィーをもらうことにチャレンジすることに。

 やってみて、販路開拓ができ、販売成果も上がり、農家さんも大喜び、当然自分のコンサルフィーも貰えると思ったが、全くお金は貰えない結末に。

 コンサルという今まで経験したことのない仕組みには農家はお金を払わないことを理解した及川さんは、次に農家さんに「お金は要らないので、余った野菜を、果物を僕に下さい」と、沢山の野菜や果物を手に入れ、和歌山駅前で茣蓙を敷き、自分で販売を始めると、売れる、売れる数万円の収益になり、起業後半年で、共感してくれる農家さんも増え始め、「我々の農産物を売って欲しい」と声が上がり始めました。

 その後、スーパーに販売コーナーも出来始め現在の「農家の直売所」の原型ができ、及川さんの活動に賛同する仲間(社員)も増えていきました。社員が増えて行く途中、5人ほどの時は業績が悪化した際、自分の給与を減らせばなんとかなりましたが、20人になった時にさすがにビビツたそうで、これは一人ではどうしようもない、組織、事業を強化する必要があると感じ始めたそうです。

 売上が順調に増え始め、メディアにも露出し始めていく中で、地元の農協からは煙たがられ嫌がらせもあったそうですが、自身も認める超ポジティブ精神でネアカに活動を緩めること無く事業拡大に集中していくなか、

●農業、農業周辺業界のボトムアップ、農学部の学生が農業に向き合わない現状の変革、農業に関わることも大きな魅力とすること 

●自分の描く農業を達成する為に、資金を持つ、変革スピードを上げていくため 

 この2つの理由から上場を目指すことにしました。この上場の先には、公平・自由競争が当たり前の普通のビジネスとなり、「ありがとう」、そして「またよろしくね」が農家と消費者の間で通い合う世の中を目指そうと決意されています。


新着記事

»もっと見る