オトナの教養 週末の一冊

2018年1月12日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

――毎日のように食事を作るというのは、多くの男性のように、たまに1食分だけ作ることとは訳が違うわけですね。共働きの家庭が多い現代で、多くの女性が日々強いられている。それでは、少し歴史を振り返ってみると、高度経済成長期以降、一時的に専業主婦が増えます。しかし、それ以前は、基本的には農家を始め、共働きが多かったと思うのですが、料理に関しては誰が担っていたのでしょうか?

『料理は女の義務ですか』(阿古真理、新潮社)

阿古:基本的には、女性です。たとえば、明治以降の中流家庭には、女中さんが1~2人はいましたから、家事の負担を分散できました。ただ、当時は家電がありませんし、ガスがまだ普及していない時代もあったので、いまの何倍も大変だったのは想像に難くないですね。

 それ以前や当時の農家では、家族のなかで、役割分担が決まっていたようです。たとえば、夫は薪を割り、子どもも何かしら手伝うといったように。女性は、料理を担当していましたが、現在ほどの品数はなく質素だったようです。たとえば、鍋に麺類と具材を入れて煮たものだけや、常備菜を繰り返し食べるといったものです。

――そうすると昔は基本的には1品だったと。

阿古:ご飯、味噌汁、漬物や常備菜といった一汁一菜が基本で、1品だけの場合もありました。そこに魚が手に入れば、煮魚などを食べた。

 ところが、明治以降、日本は近代化により価値観や社会が大きく変わり、家庭重視の考え方が出てくる。そのなかでも大きかったのは、良妻賢母思想です。これにより、それまで親や夫に従っていただけの妻は子どもを産むだけでなく、育てる役割まで担う「地位」を獲得したのです。ただし、あくまでも家庭内でのことです。この思想では、妻は自らを犠牲にし、家族や子どもに尽くすことが推奨されました。

 戦後、憲法で男女平等が定められ、戦後育ちの新しい世代の意識が変化するなか、70年代に世界的に広がったウーマン・リブ(女性解放運動)が日本でも高まります。しかし、良妻賢母思想の母親に育てられた新しい世代の女性たちのなかには、母親たちの世代の意識を引きずっている人も少なくなかった。

 高度成長期には、流通の発達や生産力の向上により、調理できる食材が豊富になりました。また、ガスが使える明るい板の間キッチンや冷蔵庫などの家電の普及で台所も近代化され、料理しやすい環境が整いました。

 その時に、彼女たちが献立の見本としたのが、『きょうの料理』などの料理番組や、『主婦の友』などの主婦向けの雑誌でした。調べると、高度成長期には一汁二菜くらいの提案が目立ちますが、70年代の終りには、一汁三菜と言われだします。この頃から、日本では、一汁三菜が家庭料理の基本であると考えられるようになりますが、それは武家社会の懐石料理の影響で、庶民の日常食は先ほどもお話しましたが、一汁一菜、もしくは1品だけの食事が主でした。

 同時に、一つひとつの料理がゴージャスになり、手間がかかるものが増えます。たとえば、ハンバーグやロールキャベツ、餃子などがそうで、それまでに比べ料理のハードルが上がります。

 高度成長期になると、家電製品の普及など台所の近代化が進みましたが70年代以降も家事時間はほとんど減少していません。それは、専業主婦になる女性が増えたことで、むしろ料理などの家事に手間をかけるようになった影響があるように思われます。

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