共働き家庭が増加する昨今、育児に家事、そして仕事にと日々の生活に悲鳴をあげる女性たちが増えている。夫たちも長時間労働などを理由になかなか参加できない現実があるが、日々の料理を作る大変さについて、どれほど理解しているだろうか。
そこで「人はなぜ料理をするのか」という根本的な問いがテーマの『料理は女の義務ですか』(新潮社)を上梓した阿古真理氏に、料理という行為、料理を誰が担ってきたのか、男性の家事参加などについて話を聞いた。
――普段料理をしない人は、「料理とは調理すること」だと思いがちですが、日々の料理とはどんな行為と言えるでしょうか?
阿古:料理は、生活を回していく家事や雑務のなかでもっとも難易度が高く、非常にクリエイティブな作業です。
まず、献立はその日に考える人もいれば、予め数日前から決めている人にわかれます。次に、献立に必要な素材を決め、スーパーやネットスーパーなどで買い物をします。しかも、冷蔵庫のなかに残っている食材が日持ちする物か、またはすぐに食べないといけないものかなどを考えながらです。なかには、スーパーで良い食材を見つけたり、安くなっていれば、そこで献立を変更する人もいます。ここでようやく食材が揃い調理を始めます。この時、子どもがいて、さらにまだ幼ければ「お母さん」と近づいてくるのを牽制しながら、もう少し大きくなれば「お手伝いしたい」と言う子どもに、手伝わせるのか、手伝わせないのかを逡巡しながら調理します。台所は、火や包丁を扱うので、何かあれば大怪我や死に至ることもある場所なので、子どもの対応には非常に神経を使います。
また、3~4品作ろうとすれば、調理を同時並行で行わないと温かいまま食卓に出すことができない。ですから、適切なタイミングを見計らい味つけをし、火加減を調節するといったことを同時に行う。さらに、日本の台所は狭い家が多いので、洗い物を置いておくスペースなどとの格闘もあります。
いざ食卓で、家族と食事を共にしても、味が家族の好みに合わないことや、子どもに至っては何の配慮もなく「まずい」「美味しい」と言うこともありますから、毎日査定を受けているようなものです。そして後片付けもあります。
しかも、長い目で見ると、毎日の料理の結果が、自分や家族の健康に直結してくる。外食もありますから、すべて家庭での料理に起因するとは限りませんが。
このように在庫管理に買い付け、調理作業、栄養管理、サービスといったいくつもの仕事を一人で同時並行的に行う家庭料理は、ものすごく高度なものといえます。