2024年4月27日(土)

WEDGE REPORT

2018年8月8日

マンデラとグスマンに学ぶ「英雄の引き際」

 マンデラ氏は大統領に就任後、一期でその座を退いた。グスマン氏は2015年、後進に道を譲り、今年5月の選挙で、かつて大統領の座にあったルアク氏が首相に就任した。いずれもきれいな引き際と言っていい。

 自分の手で、もう少し国の舵取りをしていきたい、まだ国の先行きは不安だ。権力者は誰しもそう思う。いや、国に対する思い入れが殊の外強く、全身全霊をかけ独立を勝ち取った解放の英雄ほどその思いが強くて当然だろう。誰が人生のすべてをかけて勝ち取った独立が、再び混迷の淵の中に危うくなっていいと思うだろう。

 変革は一人の英雄に負うところが大きい。我が日本も、明治維新は多くの英雄により成し遂げられた。しかし、守成は別なのであり、それは一人の英雄ではなく、きちんと整備された制度に委ねられなければならない。創業が成った後、国は凡庸の者の存在を前提に機能していくことを考えなければならない。守成とは、凡庸の者が舵取りをしていくプロセスである。誰が出てもそれなりに機能する、そういう制度を整えられるか。そして整えた後、潔く身を引くことができるかどうか。

 最後は、英雄が抱く「志」にかかっているのかもしれない。英雄が国を解放しようとした時、本当に国と国民を思ってしたか、国民のためにすべてを捧げる覚悟だったか。英雄ほどの者になれば誰だってそれなりの志はある。そうでなければ解放闘争で人はついてこない。問題はそれを、ひときわ高い極みにまで陶冶することができるかなのだ。

 マンデラ氏はそれを獄中でやった。獄中の27年間、マンデラ氏は解放闘争の意味を問い続けたに違いない。誰のために解放するのか。自分は南アフリカをどういう国にしたいと思っているのか。出した答えが白人と黒人の「共生」する社会だった。ちなみに先に汚職のかどで大統領を解任されたズマ前大統領も12年間、マンデラ氏と同じロベン島収容所で過ごした。収容所の凄惨な暮らしの中で何をつかみ取ったか。その違いはあまりに大きい。

 グスマン氏はジャングルと獄中で国の独立の意味を問い続けた。東ティモール国民同士が争うことなく国造りに尽力する、そういう国であるべきだ。国民同士の「赦し」こそが国の根幹にあるべきだ。こちらは首相を辞任してまだ日が浅い。ズマ氏のような人物がこれから出てくるのかどうか。

 マンデラ氏もグスマン氏も、富とは無縁だった。あれだけの苦労をして成し遂げた独立である。多少の富を懐に入れただけでは割に合わない。それよりも国が安定し、国民が幸せを実感できる国にする方がずっと価値がある。最後は英雄がそう考えるかどうかなのかもしれない。

  
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