Washington Files

2019年1月8日

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斎藤 彰 (さいとう・あきら)

ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長

1966年早稲田大学卒業。68年米カリフォルニア州立大学バークレー校大学院修士課程修了、70年読売新聞入社。ワシントン常駐特派員を2度務めた後、アメリカ総局長、東京本社取締役調査研究本部長などを歴任。近著に『中国VSアメリカ』『アメリカはカムバックする!』(いずれもウェッジ)がある。

(iStock.com/flySnow/Purestock)

 トランプ再選を阻む民主党有力候補は誰か―ワシントン政界では年明けとともに早くも、2020年大統領選に誰が名乗りを上げるかをめぐり話題が広がりつつある。これまでに有名、無名含め30人近くの名前がうわさされる中で、もっとも注目したいのは、なんといってもベト・オルーク(46)だろう。

 本題に入る前に、そもそもアメリカの大統領選挙で、誰が有望候補として名乗り出、そのうち誰が長丁場の予備選をへて1年以上先の本番まで生き残れるかを予測することは容易なことではない。

 さまざまな情報をかき集め、候補者を絞ってその行方を追う醍醐味は独特だが、序盤から不確定要素がつきまとい、最後の最後で大方の予想が覆される意外な展開となるケースが珍しくない。予想が外れると気まずい気分にさえなる。

 筆者はこれまで、1976年のフォード共和党現職大統領対カーター民主党候補、1980年のカーター大統領対レーガン共和党候補、1992年のブッシュ共和党現職大統領対クリントン民主党候補、そして前回2016年のヒラリー・クリントン民主党候補対トランプ共和党候補の4回の大統領選を取材してきた。しかし、選挙戦スタート時点から「最終候補」として勝ち上がり本選での当選予想まで的中できたのは、レーガン大統領誕生の時のみだった。結局、予想では「1勝3敗」の惨めな結果となった。

 ただ、日本などとは態様がまったく異なる米大統領選挙予測に関して、これらの苦い取材経験から学んだ教訓がいくつかある。それは次のような点だ。

<教訓①> 各種事前世論調査の「支持率」はぎりぎりまで信じるな=カーター(1976年)、クリントン(1992年)、トランプ(2016年)の当選例

<教訓②> 候補者の品定めは「経験」より「意外性」と「鮮度」=カーター、トランプの当選例

<教訓③> 選挙プロの分析・予測にだまされるな=カーター、トランプの当選例

<教訓④>「月並みな見識」(conventional wisdom)が判断を狂わせる=トランプの当選例

<教訓➄> 有権者は候補者の所属政党ではなく「人物」に投票する=トランプの当選例

 以上を踏まえて本題に移る。

 これまでうわさされる民主党候補者として名前が挙がっているのは、ジョー・バイデン元副大統領、バーニー・サンダース(バーモント州)、エリザベス・ウォーレン(マサチューセッツ州・女性)、カーステン・ギリブランド(ニューヨーク州・女性)、コーリー・ブッカー(ニュージャージー州)、カマラ・ハリス(カリフォルニア州・女性)、シェロッド・ブラウン(オハイオ州)、エミー・クロブチャー(ミネソタ・女性)各上院議員、ベト・オルーク前下院議員、スティーブ・ブーロック・モンタナ州知事、テリー・マカーリフ・バージニア州知事、マイケル・ブルンバーグ元ニューヨーク市長、実業家トム・ステイヤー氏らだ。

 このうちすでに出馬の意思を正式表明したのは今のところ、ウォーレン氏ただ一人だが、数カ月内には、ぞくぞくと他の立候補者名も明らかになると予想される。

 ウォーレン女史(69)は大晦日の先月31日、全米向けにビデオで出馬表明するとともに、地元ボストンで大勢の記者団を前に「トランプ政権の下で中間所得層が攻撃にさらされてきた。これを改めさせる。レースの最後まで戦い抜く」と強い調子で決意を語った。そして近く、大統領選最初の党員集会が開かれる(来年2月)アイオワ州の主要都市を訪れ、支援要請のため地元有力者たちとの会談に臨む予定だ。

 これを受けて早速、有力雑誌「ニューヨーカー」は、ベテラン記者による「エリザベス・ウォーレンを過小評価するな」と題するコラムを掲載、2012年以来、上院議員としての存在感と実績を積んできた彼女の知名度、大衆受けのする明確なメッセージ発信能力などを例に挙げ、再選を目指すトランプ大統領相手に十分戦える資質があるとの好意的評価を示した。

 政治経験の豊富さや実業界での実績という点では、バイデン(76)、サンダース(77)、ブルンバーグ(76)、ステイヤー(62)各氏についても同様のことが言える。

ベト・オルーク氏( REUTERS/AFLO)

 しかし、これとはまったく対照をなすのが、「オバマの再来」「民主党の救世主」などと一時騒がれたベト・オルーク(46)だ。まず、その経歴から見ていこう。

 1972年、テキサス州エルパソ市でアイルランド系一家の4世として生まれる。その後、エルパソ高校をへて、ニューヨークのコロンビア大学在学中に友人とともにボーカル・バンドを結成、一時は全米各地、カナダでも公演するなど、人気を集めたこともある。

 卒業後は、住み込み介護、インターネット・プロバイダーの技術スタッフ、大手出版社の校閲担当などいくつかの都市で職を転々とした後、郷里エルパソに戻り、妻とともにコンピューター・ソフト会社を設立、この間、オンライン新聞も立ち上げるなど、地味ながらもビジネス面である程度の成功を収めた。

 21世紀に入り、地方政界に進出、2005年、エルパソ市議会議員に初当選以来、市内の疲弊した商店街の再開発、貧困地域における麻薬患者たちの救済事業など、社会の落ちこぼれや弱者の立場に立ったプロジェクトをつぎつぎに立ち上げ、成果を挙げた。その後、再選を果たし、愛称「ベト」の知名度は徐々に広がっていったが、とくに地元有権者の心をつかんだのは、選挙の際に、車やラジオを通じた遊説ではなく、つねに徒歩で住民の自宅やアパートを一軒ずつ訪ね、投票を呼びかけるその熱っぽい手法だった。

 2012年、彼が連邦下院議員選挙に立候補した際もその手法は基本的に変わらず、選挙期間中に自らの足で訪問した家庭は1万6000世帯にも上ったという。こうした努力のかいもあって、投票総数の65%を獲得、共和党対立候補に大差をつけ当選した。その後連邦議員としてワシントンに活動の舞台を移してからも、毎月最低1回は地元に戻り、選挙区の一般市民たちを対象とした「タウン・ミーティング」を開催、グラスルーツの支持層拡大に努めてきた。

 ただこの間、中央政界での仕事ぶりがマスコミで話題になることはあまりなかった。

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