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2019年3月9日

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稲泉 連 (いないずみ・れん)

ノンフィクション作家

早稲田大学第二文学部卒。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど—竹内浩三の詩と死—』(中央公論新社)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。近著に『「本をつくる」という仕事』(筑摩書房)がある。

 福島第一原子力発電所の構内の高台に立つと、青い海を背景に4基の原子炉建屋が並ぶ様子が見える。廃炉作業が進められるその現場の風景を眺めるとき、多くの人の目を引くのが、巨大なドーム状の構造物に覆われた3号機の異質さだろう。

 3号機は事故当時、水素爆発によって建屋の上部が吹き飛んだ。激しく破損した上部の瓦礫が撤去され、後に作られたその構造物は「使用済み燃料取り出し用カバー」と呼ばれるもので、「かまぼこ」の形をしたドームを八つに輪切りにする手法で組み立てられている。

上部に「使用済み燃料取り出し用カバー」が取り付けられた福島第一原子力発電所3号機(出典:東京電力ホールディングス)

 全体の大きさは全長約57メートル・地上高約54メートル。内部の「オペレーティングフロア」には建屋内のプールから使用済み燃料を取り出すための装置があり、東京電力は2018年後半に遠隔操作での取り出しを予定していた。566本の燃料を取り出すこの重要な作業は装置の不具合で延期されているが、高台から望む特異なカバーの姿は、現在の廃炉の現場を象徴する風景の一つである。

 施工を担当した鹿島建設の現場所長である岡田伸哉(55歳)にとって、ドームの最後のパーツが接続された18年2月22日は、自らのキャリアにおける忘れられない一日であり続けるはずだ。

 工事の現場責任者である彼はその日、高さ約100メートルの巨大クレーンにつり下げられたドームの部材を、オペレーティングフロアの上から静かに見上げていた。頭上がゆっくりと覆われ始めると、周囲が皆既日食のように少しずつ暗くなっていく。そして、しばらくしてゴムパッキンが衝撃を吸収し、45トンもの重さのある部材は音もなくフロアに接続されたのだった。

 「ワイヤーが外されてクレーンが戻っていく合図を聞いたとき、『やっと終わった』という気持ちが胸に湧き上がってきました」と岡田は今も目を細めて語る。

 彼がこのような感慨を抱いたのは、その作業が約7年間続いたプロジェクトにおける大きな区切りだったからだ。

 同社の原子力関連の施行に携わってきた彼が、3号機の「カバーリング工事」の現場担当者に任命され、事故後の福島第一原発を初めて訪れたのは11年5月下旬。放射能汚染を防止するタイベックスーツと全面マスクを装備して建屋を近くから見上げたとき、彼は文字通り途方に暮れたことをよく覚えていた。

 建物の全体をカバーで覆うためには、水素爆発を起こした建屋上部や周囲の瓦礫をまずは撤去する必要があった。だが、当時の3号機の上部には、鉄骨やコンクリートの破片が積み重なり、スパゲティのように複雑に絡まり合っていた。さらに原子炉内の燃料プールからは湯気が上がっており、その光景はあまりに非現実的で禍々(まがまが)しいものだった。

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