赤坂英一の野球丸

2019年4月24日

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投球はスピードがすべてではない

 しかし、球界やマスコミでは「158㎞左腕」というイメージが先行して、辻内は05年秋のドラフト会議で1位指名を受けて巨人入り。翌06年、辻内はジャイアンツ球場で行われる二軍のイースタン・リーグ公式戦に登板するたび、速球を投げ込んで150㎞台を連発した。

 当時、辻内を取材にきた評論家の中には、「辻内を売り出すために球場のスピードガンを甘くしたのでは」と疑問を唱える元巨人のコーチもいた。が、私を含めて、記者たちはみんなあまり深刻に考えないか、聞こえない振りをしていたように思う。

 結果、辻内は1年目で左肘を故障し、2年目には肘の靱帯再建手術、いわゆるトミー・ジョン手術を受ける。その後、いったん復帰したものの真っ直ぐのスピードは130㎞台にまで落ち、一軍で登板する機会はついになく、8年目の13年にユニフォームを脱いだ。

 球速と肘の靱帯の故障との間に、どのような因果関係があったのかはわからない。ただ、私が辻内を追いかけていた06年、彼が連日のように周囲の〝スピードガン狂騒曲〟に煽られていたことは間違いなかろう。手術した際には、「肘の靱帯が切れてなくなっていた」と医者に言われたそうだから、どれだけ肘を酷使していたかがわかる。

 高校生の場合、このようにスカウトのスピードガンによる数字が独り歩きするケースは枚挙に暇がない。開幕早々の4月11日、広島戦で2年ぶりに勝利を挙げたベテラン、ヤクルト・寺原隼人の高校時代もそうだった。

 その最たる例が、寺原が日南学園(宮崎)3年生だった01年夏の甲子園である。1回戦の四日市工(三重)戦での最速記録はニューヨーク・メッツのスカウトのスピードガンで155㎞、甲子園の電光掲示板で151㎞。続く2回戦の玉野光南(岡山)戦ではアトランタ・ブレーブスのスカウトのスピードガンで157.7㎞、テレビ中継で154㎞。マスコミにはもちろん、スカウトのスピードガンが示した数字のほうが大きく取り上げられた。

 スカウトよりも球場やテレビ局のスピードガンのほうが信用できる、などと言うつもりはない。例えば、日本ハム・斎藤佑樹が早大4年生だった10年秋のリーグ戦で、神宮球場の電光掲示板は最速151㎞を表示した。これには当の斎藤が「誤作動でしょう」と苦笑いしている。要するに、スピードガンは「絶対に正しい数字」を出せる機械ではないのだ。

 誰よりも速いスピードを追い求めることは、確かに野球の夢のひとつである。しかし、広島・北別府学は最高速度140㎞台半ば、平均速度120~130㎞台でも200勝を達成し、殿堂入りを果たした。中日・山本昌広のように、「今年の目標は140㎞出すことです」と言いながら、130㎞そこそこの真っ直ぐ、変化球のキレ、低めへのコントロールで200勝を挙げ、50歳まで現役を続けた投手もいる。

 日本最速の165㎞をマークした大谷も肘を故障し、かつての辻内と同じトミー・ジョン手術を受けてリハビリに取り組んでいる。彼が100%回復し、ふたたびメジャーリーグのマウンドに立てるかどうか、現時点ではまだ誰にもわからない。

 投球はスピードがすべてではない。直球もまたスピードガンの表示がすべてではない。そもそも野球はスピードガン・コンテストではないのだ。そういうことを、将来ある佐々木たち高校球児は肝に銘じておいてほしい。

  
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