食の安全 常識・非常識

2019年9月6日

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松永和紀 (まつなが・わき)

科学ジャーナリスト

1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)、『効かない健康食品 危ない天然・自然』(光文社新書)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(同)で科学ジャーナリスト賞受賞。「第三者委員会報告書格付け委員会」にも加わり、企業の第三者報告書にも目を光らせている。

風評被害を防げるか

 ただし、私は農水省がワクチンに慎重になる気持ちもわからないでもないのです。もちろん、鈴木さんのような養豚農家が再開して頑張るためにもワクチンは必要です。しかし、接種する非清浄ゾーンと病気の発生がなくワクチン接種もしていない清浄ゾーンを明確に分け、肉などの流通まで管理するのは簡単ではないでしょう。

 それに、農水省は、風評被害も懸念しています。ワクチン接種により豚肉の価格低下など風評被害が起きない、という保証はありません。

 消費者がワクチンを接種した豚肉と、接種していない豚肉の両方をきちんと理解し、気にせず食べてくれるでしょうか。小売り店が、適切に販売できるでしょうか。

 先日、愛知、岐阜に近く、豚コレラ感染が見つかっていない県職員に聞かされました。「大手スーパーマーケットのバイヤーが、愛知・岐阜の豚肉は買いたくないって、うちの方に買い付けに来てるんですよ。困ったものです。もちろん、豚コレラは食肉としての安全性には関係がない、とことあるごとに、説明しているのですが」。現在でもこうなのですから、ワクチン接種が始まったら……。

アフリカ豚コレラを防ぐには

 もう一つ懸念があります。それは、ワクチン接種により養豚農家が安心し、農場のバイオセキュリティ向上への努力が弱まってしまうのではないか、という心配です。今でも養豚農家は必死なのに、もっと頑張ることを期待される。それは、海外からウイルスが侵入するリスクが常にあるためです。

 豚コレラは、海外からウイルスが入ってきたとみられています。そのため、農水省は空港や海港等での輸入検疫を強化し、ウイルスが付きやすい肉やハム・ソーセージなど加工品が国内に持ち込まれないように監視しています。豚コレラなどの病気がある国からの生肉や加工品はもともと、輸入禁止。しかし、こっそり手荷物などに紛れ込ませて持ち込もうとする事例が多発していました。そのため、検疫探知犬も増頭しています。また、今春から、違反を繰り返す場合には家畜伝染病予防法違反として警察に告発する旨を旅行者に伝えており、すでに4人が逮捕されています。

個人で食べると称して、大量の荷物を持ち込む入国者。検疫探知犬が匂いを嗅ぎ、座って担当職員に知らせる(左の写真)。開けると、大量の食品が出てきた。動物検疫所職員が、中に持ち込みを禁止されている肉や加工品がないか調べる
入国者が放棄した加工畜産品。加熱不足でウイルスが不活化していなかったり、加工後にウイルスが付いたりする場合もあり、非清浄国からの輸入は、加工畜産品であっても禁じられている

 この輸入検疫強化は、豚コレラの再侵入を防ぐ目的だけではありません。今、もっとも心配されているのは豚コレラではなくアフリカ豚コレラです。この病気は治療法がなく致死率が非常に高いのが特徴。ワクチンも未開発です。アフリカ豚コレラは、2007年にアフリカからヨーロッパやロシアへ侵入。次第に広がり昨年、中国で流行し始め、今年2月にベトナムへ。そして5月には北朝鮮でも発生が確認されています。つまり、じわじわと日本へ近づいているのです。

 実際に、旅行者が国内へ持ち込もうとして輸入検疫で見つかった加工品から、アフリカ豚コレラウイルスが活性をもったまま検出されています。もし、この加工品が輸入検疫をすり抜け国内に持ち込まれ、食べ残しが廃棄されて野生イノシシが食べたら……。影響は豚コレラの比ではありません。そして、日本全国のどこでも、病気が発生する可能性があります。

 こうした背景があるため、養豚農家は気を緩めることなく施設の衛生管理や消毒等に努めなければならないのです。豚コレラワクチン接種が始まれば、ちょっとほっとする。これは当然の人情でしょう。でもそれが許されない厳しい環境に今、養豚農家は置かれています。

養豚農家の厳しい闘いを理解し、応援を

 豚コレラ対策をめぐる科学と事情。その複雑さ故に部外者にはわかりにくく、豚肉を食べる消費者にはなかなか伝わりません。

 拡大豚コレラ疫学調査チームの一員の開業獣医師、伊藤さんはこう話します。「朝起きて、豚舎に行くのが怖い。もしも、豚コレラだったら。そんな毎日が一年近く続いているのが養豚に携わる生産者です。国は飼養衛生管理基準の遵守を、と繰り返すだけ。ウイルスの侵入を許したら、社会に生産者が悪いと言われ、生産者の方々は精神的に追い詰められています。とにかく早く、ワクチン接種に踏み切るべきだ」。

 疲弊するばかりでは、ミスも出ます。野生イノシシの感染が多い地域で期間を限ってワクチンを接種し、いったん落ち着いたうえで、新たな気持ちで病気の侵入防止のためバイオセキュリティの向上に力を注ぐべきだ、というのが伊藤さんの判断です。

 意見はもっともです。でもそれには、消費者や流通関係者等の豚コレラに対する正しい理解や努力、応援が不可欠です。この事態は、農家だけの問題ではありません。このまま流行がさらに広がったら、現在も高値傾向にある国産豚肉はさらに高騰するでしょう。もし、アフリカ豚コレラが豚にうつったら、国産養豚は壊滅します。

 養豚農家の厳しい闘いを理解すること、そして、豚コレラの流行やワクチン接種の意味も知り、豚肉の産地を区別することなく、おいしく食べてゆくこと。それが、消費者のできる応援、ではないでしょうか。

<参考文献>
・農水省・豚コレラについて
http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/csf/

・農水省・アフリカ豚コレラについて
http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/asf.html

・国際獣疫事務局(OIE)・豚コレラ
https://www.oie.int/animal-health-in-the-world/official-disease-status/classical-swine-fever/

・内閣府食品安全委員会・豚コレラ経口生ワクチンを摂取したいのししに由来する食品の安全性
http://www.fsc.go.jp/fsciis/evaluationDocument/show/kya20190312043

・内閣府食品安全委員会・豚コレラについて
http://www.fsc.go.jp/sonota/csf/

・日本養豚開業獣医師協会
http://www.e-jasv.com


  
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