故郷のメディアはいま

2012年7月11日

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小田桐 誠 (おだぎり・まこと)

ジャーナリスト

1953年、青森県生まれ。亜細亜大学法学部卒業。出版社勤務を経てフリーのジャーナリストに。2004年7月から4年間、放送専門誌『GALAC』編集長。現在、法政大学と武蔵大学社会学部兼任講師。BPO(放送倫理・番組向上機構)「放送と青少年に関する委員会」委員、NPO法人放送批評懇談会常務理事・選奨事業委員長。近著に『NHK独り勝ちの功罪』(ベスト新書)がある。

 日本の放送の歴史を語るとき、必ずと言っていいほど使われるフレーズがある。

 「ラジオ放送は1925年に始まり、1953年にスタートしたテレビ放送は間もなく還暦を迎えようとしている」「戦後(太平洋戦争後)日本の放送はNHK・民間放送の二元体制で成長・発展してきた」。

 だが放送史の根幹を成すこの事実に当てはまらない県がある。沖縄だ。

独特の歴史・風土が色濃く反映

 沖縄県はラジオ放送が開始した時は日本の領土だったが、テレビ放送がお茶の間を席捲していく時代は米国の統治下にあった。また同県では民間放送の発展・充実が先で、NHK沖縄放送局が設立され同局の番組が丸ごと視聴できるようになったのは1972年5月15日の本土復帰以降。長く沖縄の放送を支えていたのは、民放だった。

 つまり沖縄の放送局は、本土と異なる形で生まれ、多メディア・多チャンネル化が進展してきたのである。その放送に対する本土の代表的企業の対応には、沖縄独特の歴史・風土が色濃く反映されている。

テレビ市場として過小評価された沖縄

 沖縄初の民間テレビ局が開局は1955年12月だった。嘉手納に開設された軍テレビ(AFRTS)だ。電波の出力は弱く、サービスエリアも狭く、米国発の番組がメインだったこともあって、一般大衆には縁遠い存在だった。

 翌56年7月、沖縄テレビ(OTV)が免許申請を提出した。だが開局したのは59年11月。3年もの歳月を要した事情について、地元紙やテレビ局のPR紙に原稿を書いてきた安里慶之助は、その著書『テレビはじまりや』でこう書いている。

 〈沖縄はテレビ市場としてはせますぎると過少評価され、その前途を危ぶむ声さえ聞かれた。おまけに、B円からドルへの通貨切り換えという大きな経済変動に逢着して、株(式)の募集が一時とんざをきたすなど、予期せぬ障害もあった〉

 OTVが開局した59年、日本では20社の民放テレビ局が放送を始める“第一次開局ラッシュ”を迎える。因みに前年は12局、翌年は5局だった。“第二次開局ラッシュ”はそれから10年後のことである。

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