チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年8月22日

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有本 香 (ありもと・かおり)

ジャーナリスト

企画会社経営。東京外国語大学卒業後、雑誌編集長を経て独立。近年とくに中国の民族問題の取材に注力している。『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社)『なぜ、中国は「毒食」を作り続けるのか』(祥伝社)の他、近著に『中国の「日本買収」計画』(WAC BUNKO)がある。

 悪い冗談か、と思うのは筆者だけではあるまい。日本でもよく知られているダライ・ラマ14世法王はすでに半世紀も亡命の地であるインドに暮らしている。つまり、ポタラ宮は半世紀以上、主不在なのだ。原因は、いうまでもなく60年前の中国共産党によるチベット侵略にある。チベットにとってこれほど重大な「史実」もないのだが、それを完全に無視あるいは封印するかのように、主なきポタラ宮の目と鼻の先で、はるか1000年以上も昔の史実を見せ物にするとはどういう趣向か?

 報道によれば、「同自治区を訪れた観光客は昨年、約850万人で前年比24%増。今年は1千万人突破が目標という。パーク建設で雇用を生み、観光収入を増やすことで経済を活性化、中国政府に対する不満を和らげる効果を狙っているものとみられる」(産経新聞7月25日)とか。二重の意味で「困った」話である。

唐王朝の皇女は第二夫人

 まず、中国共産党が「チベットは古来、中国の一部だった」と主張する際に必ず持ち出すのが文成公主の逸話なのだが、これ実は中国側にとってさほど都合のいい話ともいえないのである。文成公主は、史上初チベットを統一したといわれる王ソンツェン・ガンポの第二后。もとは息子の嫁であったが、息子の死後、父王の妃となった。ソンツェン・ガンポには現在のネパールから迎えた后もいたのだが、「中国共産党の理屈では、チベットはネパールの一部でもあったということになるではないか」とチベット人は嗤う。世界の歴史上、王や皇帝が隣国、他国から后を迎えた例など枚挙にいとまがなく、そのことによって、いちいち一方の国が他方の国の「一部」になっていたはずもない。

 ついでにいうと、この時代、吐蕃には未だ仏教が普及していなかった。したがって「殺生厳禁」のような思想はなく、吐蕃人は勇猛果敢な騎馬隊となって山を降り、たびたび唐を脅かした。つまり、近現代のチベット・中国とはかなり異なる両国関係であったのだ。

 もうひとつ、このテーマパーク建設が困った話と思うのは、チベット支配が60年以上に及んだにもかかわらず、中国政府は一向にチベット人のことをわかっていないという点にある。というより、彼らは人間というものをわかっていないのかもしれない。

 「人はパンのみにて生きるにあらず」とは西洋の言葉だが、チベット人が生身を燃やしてまで訴えているのは「パンをくれ」ということではない。

若い世代に広がる民族間の対立感情

 むろん、増え続ける中国本土からの移住者に権益を奪われたために、チベット人が貧困状態に陥り、路上生活や物乞い、売春を余儀なくされているという現実もある。あるいは、大学を出ても職業差別のために職を得られない、不当に職場を追われるという話も聞く。民族差別はむしろ経済発展が喧伝される最近のほうが酷い、とも聞く。しかし、焼身者が訴えているのはこうしたことではない。彼、彼女らが身を焼くときにきまって叫ぶのは「チベットに自由を」「ダライ・ラマの帰還を」という言葉である。

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