チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年11月22日

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城山英巳 (しろやま・ひでみ)

時事通信社外信部記者

1969年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社入社。社会部、外信部を経て2002年6月から07年10月まで中国総局(北京)特派員。 外信部を経て11年8月から2度目の北京特派員。11年、早稲田大学大学院修士課程修了。現地での中国取材は10年に及ぶ。16年5月に帰国し、現在外信部記者。近著に『中国 消し去られた記録〜北京特派員が見た大国の闇』(白水社)、著書に『中国臓器市場』(新潮社)、 『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書、「第22回アジア・太平洋賞」特別賞受賞)、『中国人一億人電脳調査』(文春新書)がある。14年に戦後日中外交史スクープで13年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。

 江沢民は自身を毛沢東、鄧小平に続く「核心」と位置づけ、江時代は「江沢民同志を核心とする第3代中央指導部」と呼ばれている。しかし胡錦濤時代は10年を経ても「胡錦濤同志を総書記とする党中央」にとどまり、「核心」と呼ばれなかった。

 江が健在を誇示する中、胡は江に配慮して「核心」を名乗るのを避けてきたという見方が強いが、この10年間、総書記・国家主席として胡は、全面引退をしたにもかかわらず「序列1.5位」を続けた江が目の上のたんこぶだった。

軍事委主席に残れなかった胡

 こうして胡錦濤は今回の常務委人事を、5年前の第17回党大会に続き、思うように進められなかった。しかし同じ共青団出身で、チベット自治区で仕事を共にした「小胡錦濤」・49歳の胡春華内モンゴル自治区(広東省党委書記に就任予定)を政治局員に昇格させ、5年後の第19回党大会で政治局常務委入りさせ、「ポスト習」の座に就かせるためにも影響力を誇示しなくてはならないのだ。

 胡は、尖閣問題を受けて周りから慰留される形でいったんは党中央軍事委員会主席に留任する意向を示したが、最終的には退任し、「完全引退」する意向を固めた。総書記退任後も2年間にわたり軍事委主席を続けた江とは違う決断だった。江を「道連れ」に「長老政治」を終わらせるとの見方が出ているが、「違う。胡は軍事委主席に残りたくても残れなかった」(中国筋)という。

軍人事の前倒しで江派排除

 胡は自身が軍トップを退く前に、人民解放軍制服組の軍事委副主席(2人)から何としても江派を排除しなければならなかった。軍4総部トップの中で唯一、年齢上、軍事委副主席への昇格が濃厚だった常万年総装備部長は、蘭州軍区時代の先輩だった制服組トップ・郭伯雄前軍事委副主席と緊密な関係を構築した。瀋陽軍区司令官時代の常は、北京に来るたび、郭の元に直行したほどの仲だったという。郭は最後まで、江沢民に忠誠を誓い続けた江の側近。郭は江の影響力を盾に、常を後継にするとの見方が強かった。

 これに危機感を抱いた胡は、軍事委主席を辞める前の自分の力のあるうちに、まず軍の4総部トップの総入れ替えに着手。通常、軍指導部人事は党大会直後の1中総会で動くものだが、前倒したのだ。副主席も党大会に先立つ第17期中央委員会第7回総会(7中総会)で、江派とは言えない范長竜済南軍区司令官と許其亮空軍司令官を選出した。そして常万全を国防相に押し下げた。

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