この熱き人々

2014年11月18日

»著者プロフィール
閉じる

吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「フレンチのはずが配属されたのがイタリアンの店。当時イタリアンはエスニックの一種で、スパゲッティか? って感じでした。そこで左利きを右利きに直されたんです。仕事は左から右に流れるから、包丁は右に持たないとダメ。もう傷だらけ。でもそれがきっかけで頭がよくなったような気がするんですよね。それまでは座ると寝ちゃうような子だったんですが、スイッチが入ったみたい」

 イタリアン2年、フレンチ2年で完全にマスターしようと決めた。そのために睡眠時間は3時間。仕事が終わるとさまざまな料理の本を読んで、イタリア料理とフランス料理の体系図を作り、マスターした部分を消していく。自分が今、全体の何割ぐらい覚えたか、足りない部分はどこか視覚的に確認しながら励む。父親が借金を背負って店が潰れたことを知ったのは、イタリアン修業を終え、次のフレンチを目指してお菓子の修業をしていた時だったという。それでもなお東京に踏み止まってフレンチ修業をした店では、潔癖症で厳しい師匠に徹底的にしごかれた。

 「夜はオルゴール聞かないと眠れない。朝はロッキーのテーマを聞いて気持ちを奮い立たせて出勤。感覚がどんどん鋭くなっていって、店にいて、『今、師匠が新宿駅、あ、もうすぐ到着』ってわかるくらい。ドアが開いた瞬間の師匠の顔で、出すのはコーヒーか紅茶かハーブティーか、ホットかぬるめかアイスか判断する。朝のその1杯が1日を決めるんで、真剣でした」

 その経験が、自分の店を持った時に大いに役立ったという。

 「ドアが開いた瞬間にお客様の気配を察して味付けを決めてました。同じ料理でもしみじみする味、はっとする味。パスタとリゾットの盛り合わせでは、髪の黒い人は米系でリゾット多め、茶髪の人は小麦粉系でパスタ多めって感じにね」

誰かのために作る幸せ

 大変な修業時代を経て鶴岡に帰ってきたのは25歳。ホテルでフレンチの料理人として働き始めた奥田は、庄内の野菜のおいしさと在来野菜の存在に気づくことになる。

 「だだちゃ豆や民田(みんでん)なすのほかにも、ここでしか栽培していない長い歴史を生き抜いてきた在来種がたくさんあったんです。庄内の野菜はきめ細かくて、瑞々しくて、香りがある。フレンチのソースをかけるとそのよさが消えてしまう。野菜が生きない。野菜のためにはオリーブオイルでコーティングするイタリアンの手法が合っている。それでホテルを辞めてイタリアンの農家レストランに勤めました。その後、地産地消の流れが追いかけてきたおかげで成功して、2000年のアル・ケッチァーノ開店につながったのです」

庄内産きゅうりの前菜はだだちゃ豆がアクセント

関連記事

新着記事

»もっと見る