ロンドン・パラリンピックでの挫折とメダル獲得 「水泳は記録との勝負」

木村敬一さん(視覚障害者水泳)


大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

世界最高峰の障害者スポーツ大会『パラリンピック』を目指すアスリートたちの「乗り越えてきた壁」に焦点を当て、スポーツの価値や意義を問うと共に障害者アスリートを取り巻く環境について取材していく。

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今回のアスリートは、高校3年生で北京パラリンピック(2008年)に出場を果たし、ロンドン・パラリンピック(2012年)では銀・銅2つのメダルを獲得した視覚障害者水泳の木村敬一選手。

 取材当日、走るように歩くスピードに驚かされるとともに、力みのない自然体にこそ強さがあると感じさせられた。「しなやかな高性能」とでも形容したくなる木村選手に迫ってみたい。

身体を動かすのが大好き
母親の勧めで水泳を始める

 木村敬一、滋賀県生まれ。

木村敬一選手

 「僕は1歳半のときに失明したので、感覚としては生まれつきの視覚障害だと思っています。小さい頃から身体を動かすのが大好きでいつも走り回っていたせいか、怪我が多くて両親にはずいぶん心配をかけたようです」

 木村は両親と姉、妹の5人家族。しかし目の障害のため小学1年生から特別支援学校の寄宿舎に入った。そこには7歳の木村から中学、高校生、鍼灸マッサージの専門課程に通う学生や50代の視覚障害者まで、幅広い年代の人たちが生活を共にしていた。

 視覚障害者には不向きだが、木村は野球が好きで学校から帰ってくると寄宿舎の先生にバレーボールを投げてもらい、それをバットで打っていた。曰く「僕は見えているわけではないので、僕のバットに当たるように先生が上手に投げてくれていたのだと思います。それが楽しくて、晩ごはんまで延々と投げ続けてもらったことがありました。言うことを聞かないので先生も大変だったと思います(笑)」

 自身の性格を飽きっぽいと言うが、はまれば無類の凝り性なのかもしれない。

 小学4年生の時、外で遊んで怪我が多いことを心配した母親が水泳を勧めた。「男の子には、思い切り身体を動かすことをやらせてあげたい」という思いからだ。

 これが木村の人生に大きな影響を及ぼすことになるのだが、キッカケは得てして子を思う親の優しさであったりすることが多く、無償の思いの中にこそ、美しい花の種が隠されているものだ。

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「障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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