あの負けがあってこそ

2015年7月21日

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 小さい頃から運動が得意で、小学生の頃は地元のサッカーチームでは怖い者知らずのワンマンだった。けれど、「一度も勝ったことがないくらい弱いチームだったんですよ。でも当時は自分が一番だと思っていた」と堀江は笑う。

 転機は小学5年生。三菱養和SS(サッカースクール)に入った時のことだ。周りを見て「こいつら半端じゃない。俺が好き勝手にやっていたサッカーとは違う」と名門チームのレベルに驚かされた。

 小学5年生にもなれば自分が「井の中の蛙」だったことに気づく年齢である。「世の中には凄い奴らがいるんだ」と思った時点でプロのサッカー選手になることを諦めた。

 生き残るのに必死だったという三菱養和SSの中学時代。

 堀江は高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会で全国優勝を果たしている。

 しかし、中学時代にレギュラーとして試合に出場できたのは2大会のみ。選手層の厚さと、必死に戦った3年間だった。

 「チームというのは、試合に出ている選手だけでなく、いつもいっしょに練習しているみんなのものという思いが強いのですが、それは中学時代に試合に出られなかったことによって形成されたと思っています。ただ必死にやっていただけの3年間ですが、中学時代に日本一を経験できたことは、あとになって僕の財産になっています」

 その後、都立駒場高校に進学した堀江は、3年間ポジション争いに苦しみながらも、創部以来初の全国高校サッカー選手権大会に出場を果たした。

事故で足を失うも、車椅子バスケで全米NO.1に

 進学した日体大の3年時、堀江は部活動を終えた帰りに足を切断するほどの大事故に遭った。

 「医師から告げられた時は、歩くことの不安やその後の生活のことよりも、あ~もうサッカーができないんだ……とだけ思いました。事故当時は足を無くして残念だし、それなりに悲しい思いはしましたが、不幸とは思いませんでした。僕の人生で残念なことの一つという感じで、今では何とも思っていません」

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