あの負けがあってこそ

2015年7月21日

»著者プロフィール

 堀江は落ち込む間もなくスポーツがやりたくなった。だが、足を切断して「何かスポーツを」と思っても知識がない。唯一知っていたのは車椅子バスケを扱った漫画『リアル』だけだった。

 障害者スポーツを専攻している同級生に紹介され、怪我が完全に治る前から「東京愛好スポーツクラブ」で車椅子バスケを始めた。

 それから2年。堀江は「NO EXCUSE」という強豪チームの練習にも参加していたことから、「アメリカ遠征に参加しないか」と誘われ、イリノイ大学への遠征に帯同した。

 「そこで見たイリノイ大学の環境やアメリカの障害者スポーツを知って、これは本格的にやるしかないと思って、すぐに会社を辞めて翌年から5年間(2005~2010)のアメリカ留学が始まりました。

 でも、僕は英語力がなかったので最初の3年間は短大に通っていました。いっしょに練習はできても、試合には出られないので別の社会人チームに所属して出場していたのです。僕がイリノイ大学生として出場したのはアメリカ生活最後の2年間でした」

 その2年間の成績は、2009年NWBAカレッジディビジョン準優勝。2010年NWBAカレッジディビジョン優勝。All Academic American受賞。という輝かしいものだ。

 また、堀江は車椅子バスケのオフシーズンには、車椅子ソフトボールや車椅子陸上にも取り組み、車椅子ソフトボールでは、ワールドシリーズでMVPを獲得。また、レーサーと呼ばれる陸上競技用車椅子に乗ってシカゴマラソンにも参加したことがある。

 オフシーズンに別の競技をやるのはアメリカではごく普通のことで、実際に体験した堀江はこう語る。

 「いろいろな競技をすることによって、身体の使い方を覚えますし、オフシーズンに別の競技をやっているので、精神的にメリハリがついて期間中はその競技に集中できます。

 日本ではそういった考えがなく、一年中同じ競技をやっているから、集中できない選手が多いのかな。アメリカではオフシーズンに化ける選手もいますし、オフがあれば日本のように練習のし過ぎで身体を壊すこともなくなるでしょう」

 このアメリカでの留学体験が、後々堀江にある思いを抱かせることになっていく。

関連記事

新着記事

»もっと見る