あの負けがあってこそ

2016年8月11日

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“競技のNO.1はレスキューのNO.1”

全豪選手権にて(写真提供:本人)

 初めて日本代表に選ばれたのは07年。初優勝から5年目のことである。同年オーストラリアで開催された「全豪選手権」で3位を獲得し、「サーフレスキューチャレンジ」や「オーストラリア・インターステイツ選手権」では優勝を果たしている。

 そして翌08年に初めて世界選手権の大舞台に立った。それが、ドイツ・ヴァーネミュンデで行われた「ライフセービング世界選手権大会Rescue2008」の舞い上がった砂の中の一瞬のマジックだ。

 「振り返ってみると、僕の本当の競技人生はあの08年の世界大会の負けから始まったと言えるかもしれません。それは世界一の壁を超えることは、レスキューの世界一を目指すことと同じことだからです。ライフセービングには“競技のNO.1はレスキューのNO.1”という言葉がありますし、日体大時代には“勝利の先に救う生命がある”と徹底的に教え込まれました。僕は僕なりに、“あの負け”の意味を、満足するな、もっともっとレスキューを追及しろということだと解釈したのです」

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 植木は現在37歳。ビーチフラッグスにおける通算成績は、全日本選手権大会の優勝8回(国内最多)、準優勝1回、3位1回。全日本種目別選手権では優勝6回、準優勝4回、3位2回で、10年連続表彰台に立つという歴代最多記録を持っている。また、世界選手権大会には出場3回、うち準優勝2回、4位1回。その他にも幾多の国際大会で優勝を納め不動の地位を築いている。

鉄人にも訪れた陰り

 しかし、この鉄人のような強さにも陰りが訪れた。14年の世界大会日本代表選考レースとなった全日本種目別選手権で、植木は3位となって世界選手権への出場権を逃したのである。

 「植木の時代は終わった」「ここまでよく頑張ったよ」などと、直接言う者はなくても、周囲の空気感からそれを感じた。何よりも、台頭する若手選手たちを前に、植木自身が時代の流れを強く感じて「勝てなかったという結果が全てを物語っている」と受け入れたのだ。

 ただ、植木はハイパフォーマンスチーム(日本代表の強化指定選手)の一員として、日本のライフセービングをけん引する存在に変わりはなかった。「自分にはこのチームに貢献できることがある」という信念のもと、その後も若い日本代表強化指定選手たちとしのぎを削り合った。

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