経済の常識 VS 政策の非常識

2011年10月13日

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 企業は儲からなければすぐ撤退し、農地が荒れるという議論がある。しかし、一般的には、企業は儲かる準備ができて進出するものだから、撤退が頻繁に起こることはない。個人の農地でも、荒れているところはいくらでもある。28.4万ヘクタールもある耕作放棄地は、ほとんどが農民の土地だったものだ(農林水産省「平成20年度耕作放棄地全体調査(耕作放棄地に関する現地調査)」2009年4月7日)。

 漁業権が農地のように売買可能であれば、もっとも効率的に漁業資源を利用できる者がもっとも高い値段を付け、結果的に、もっとも効率的に漁業資源を利用できる者の手に渡る。これが漁獲高を最大限にすることだと言えるような気がする。

 しかし、漁業権と農地とは異なる。大地の肥沃さを一時に使いつくすような農法を行えば、農地の所有者が損をする。だから、効率的な所有者は、そのような略奪的農法を行わない。

 しかし、漁獲高は、その海面全体から生まれるもので、誰かが余計に獲れば別の誰かの漁獲高が減る。効率的に獲れば良いというものではなく、その海域で獲れる漁獲高の総量は決まっているのである。すなわち、漁業権には、漁獲高の総量を決める役割がある。漁業権を持つのが誰であっても、この役割が残るようにしなければならない。

 三陸の個別の海面の漁獲高について十分な情報がある訳ではないが、日本全体で見れば、漁獲高は減少傾向にある(八田達夫・髙田眞『日本の農林水産業』204~205頁のグラフ、日本経済新聞出版社、2010年)。おそらく魚を獲りすぎているのである。とすれば、しばらく獲らないことが長期的には効率的である可能性が高い。

 魚を獲らないことが効率的かもしれないとすれば、漁民が新規参入に反対するのは当然だ。さらに、漁業権の価格について何の議論もされていないことも不思議である。農地であれば、高齢で後継ぎもなく、農業を続ける意欲をなくした農民が、他の農業者に農地を売り、それを老後の備えとすることは当然と認められている。同じような立場にある漁民が、漁業権を売って引退することが悪いとは思えない。あるいは、大震災で漁船や漁具を失った漁民が漁業権の一部を売って、生産手段の購入代金に充てることも考えられる。

 震災からの復興を加速するために、漁業権という権利について再考することは当然だ。しかし、その議論には、効率化の観点が欠けていた。日本では、あらゆる議論に効率性の観点が欠けている。漁業権という複雑な権利であれば、なおさらに効率性についての議論が必要だ。

*関連記事:「企業に漁業ができるわけがない」 宮城県漁協の言い分は正しいのか

 

◆WEDGE2011年10月号より

 



 


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