この熱き人々

2016年10月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「汚れた肉体は消えてしまったほうがいいって、『少女』の脚本に書いたセリフなんですが、まさにそんな気持ちでした。でも子どもだからとりあえずご飯が食べたい。友達と遊びたい。何かやりたいことがある。ということは今日は死ななくていい。生きるか死ぬかと毎日自分で選択して、今日は死なないでおこうと思う。その連続で生きてきたって感じです。『赤い靴』の主人公のように、いよいよとなれば死を選べるということを思い出して楽になっていたんですね」

 自分の死のイメージは、世の中に負けるのではなく選択の一つなのだと理解し、死を常に意識しながら、それゆえに生きていること、生きる選択をした自分を確かに感じる。『赤い靴』が自分を生かしてくれたと三島は言う。

 「あの時あの映画を観ていなかったら、少なくともこんな風に今生きていなかったと思うから」

美しいと思うものは何か

 映画が人生の瞬間瞬間に蘇り、寄り添ってくれる。それを体感した三島は、家の近くの名画座に1週間に1度は通う映画好き少女になった。映画好きは、あくまで観客として楽しむファンであるが、三島は早くから監督を目指している。観る側ではなく創る側にシフトしていったということだ。

 「パンフレットが読めるようになると、監督のインタビューなんかが載ってる。どういう人物をどう動かしていくのか、映画全体は監督が持っている世界観とか哲学で創られた小宇宙だと思ったわけです。もちろんそういう言葉は後付けですけど、そんな風に感じて、自分もなりたいなって」

 1本の映画が、4歳の少女のその後を導いていく。映画の持つ力のすさまじさが、鳥肌が立つような感覚で伝わってくる。その感覚をズームアウトしていくと、4歳の娘に『赤い靴』を観せた父親の姿がフレームインしてくる。

 「父は単に自分が観たかっただけで、私がどう感じたのかなんて無頓着。何たって私に三島有紀子なんて名前をつけるくらいだから」

 三島由紀夫を連想させる名前。三島が生まれた時、三島由紀夫の大ファンだった父が由紀子と名付けようとし、母が反対して父が1字だけ折れて有紀子になった。翌年、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で凄絶な自死を遂げている。こういう名前を持って生きていくというのは、どんな感じなのだろうか。

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