この熱き人々

2017年5月22日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

昭和のはじめに途絶えていた北九州の木綿織物「小倉織」(こくらおり)を復元。武士の袴や帯としても使われてきた凛とした縞(しま)の伝統を守りながら、現代の感性に響く新たな表現に挑む。

 2016年5月。G7北九州エネルギー大臣会合が開催された北九州市の会場は、桜や梅など草木で染めた糸で織り上げた小倉織の、繊細で凛とした縞を基調に空間演出が展開され、参加者への記念品として小倉織の風呂敷やトートバッグが贈られた。

 小倉織。豊前(ぶぜん)小倉藩で江戸初期から織られ、袴や帯として暮らしに深く長く関わってきた木綿布で、明治の文明開化で和装と運命を共にし衰退。グレーの霜降り学生服として一度は蘇(よみがえ)ったものの、再び衰退。昭和初期にはついに完全に消滅して、人々の記憶からも瞬く間に消えてしまった。

 そんな歴史をもつ小倉織が、染織家・築城(ついき)則子の手で3度目の命を与えられたのが1984年。それから33年、立体感のある見事な縞と豊かな色使いで世界にその存在が知られるまでに育ててきた。

 空にまっすぐ伸びる古い煙突に鉄鋼の町だった面影を残す八幡(やわた)の中心地から外れ、細い道を登った山奥の梅の里にある、昭和初期に建てられた古民家。そこが築城の工房だった。

 「梅の木が多くて、草木染めの原料を探しにこの辺りに来ていて見つけたんです」

築城の作品。上から小倉織木綿縞「梅薫」「奔流(ほんりゅう)」「月の舟」

 古くから生い茂る木々に囲まれ、徹夜仕事の築城を悩ませるイノシシも生息している場所。通うのにも不便なここを選んだ築城の心に思いを馳せていると、目の前に、「梅薫(ばいくん)」と名付けられた薄紅色とベージュ、薄い茶色の縞模様の布を広げてくれた。

 「梅の枝で染めた木綿糸で織ったものです。薄紅色は花が咲く前の枝を煮出して染めたもの。花を咲かせるための色素を溜めているからこの色に染まる。花が終わった後の枝で染めるとベージュや茶色に近い色になるんです。全く同じ色をもう一度作ることはできない。草木染めは一期一会の色なんです」

 木綿糸は絹糸よりも染まりにくい。何度も染め重ねていかなければならないから絹糸の数倍の時間を要する。木綿が染まりやすいのは藍だけだという。簡単に染まろうとしない木綿の頑固さは布の特徴にも表れているようで、ふと糸に人間性を感じたりしてしまう。

 「でもね、染まり方が遅いから何段階も染め重ねていく過程で中間の色がたくさんできていく。色が多ければ多いほど表現が広がりますから」

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