子育ていろいろ 本いろいろ

2017年5月22日

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――自分の場合で考えてみても、個人的経験をベースに語ってしまうことがあります。

苫野:それはしょうがないことです。ただ、それを振り返る視点があるかどうかですよね。「あ、これは個人的な体験を過度に一般化してしまっているかな」という振り返り。それがあると議論の質が変わります。哲学は、みんなにとって普遍性を持つ答えかどうかを思考するものです。「これこそ正しいんだ」と言わずに、「なるほどそれは言える」と思ってもらえるか。それを目指す。

――哲学は「考え続けること」ではなく、一定の答えを出すことというお話もありました。

苫野:考え続けることに意味がある、というような風潮があるんですけど、それは哲学とは違うんですよね。教育系のシンポジウムへ行くと、よく、司会が「難しい問題ですね。でも、答えは出ないけれど、議論し続けることに意味があるのです」などと言って会を終えることがあるのですが、哲学にとっては、そこで諦めるのではなく、共通了解が可能な答えを出すことこそが重要です。この本であれば、教育は「自由の相互承認」のために必要であるという答えがそれです。

学びの「個別化」と「協同化」の融合を

――本書で苫野さんが語ってらっしゃることの核の一つが「自由の相互承認」だと思います。

苫野:人間は必ずみんな自由に生きたい。けれど、自由に生きることをわがままと勘違いすると争いになり、自分自身の自由も奪われます。自分が自由に生きたいのであれば、人が自由に生きたい気持ちも認める。そのうえで調整する。これが「自由の相互承認」です。言われてみれば当たり前ですが、言われないと意外に思い当たらない。これに基づいた社会を作らない限りは、私たちは自由に平和に生きることができません。そのために法と教育がとても大切になってくる。教育によって、すべての子どもの自由と、その相互承認とを実現するのです。

―大人になるまでに身に着けることである、と。

苫野:子どもは原理的に大人ほど自由を認められている存在ではありません。たとえば選挙権を持っていない。社会で生き抜く十分な力がまだ備わっていないから、また、他者の自由をまだ十分に承認できる存在ではないから、大人ほどの自由な存在とは認められないとされるわけです。でもその代わり、特別な保護と教育を受ける権利を有します。子どもたちに「自由の相互承認」の感度を育み、その上で一人ひとりが自由に生きられる力を育むこと。大人は、そして教育は、このことを必ず保障する責任を負っているのです。

――本書の中で苫野さんは現在の一斉カリキュラムの問題を指摘し、学びの「個別化」が必要と論じられています。思い出したのが先日ニュースで報じられていた、TOEIC980点を取ったという中学1年生の話です。すごいと思うと同時に、この子は学校の英語の授業をどう過ごしているんだろうと思いました。

苫野:本当にその通りで、教育現場ではそういうことや、その逆のことがいっぱい起こっています。学校では前時までに教えたことは全員が理解したという前提で次の授業を行うことになっていますが、これは残念ながら完全にフィクションです。教室の中には、授業が分からず、ついていけなくて苦しんでいる子が必ず一定数いる。みんなで一斉に進んでいくので、つまずいても戻ることができないというのは、今のシステムの大きな問題です。

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