オトナの教養 週末の一冊

2017年6月23日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

 トランプ政権への支持をめぐるアメリカ国内の状況や、日本におけるマイノリティ市民へのヘイトスピーチなどを見ていると、分断されたこの社会の一端を垣間見ることができる。果たして我々はどんな社会を生きているのか。そうした疑問に対し、社会学を用いて1つの見方を示してくれるのが『分断と対話の社会学 グローバル社会を生きるための想像力』(慶應義塾大学出版会)だ。今回、この本を執筆した慶應義塾大学・塩原良和法学部教授に「グローバリゼーション」やそれによって引き起こされた「分断」、「対話」や「想像力」の重要性などについて話を聞いた。

――国内外問わず、先進各国で「分断」が叫ばれています。本書のタイトルにある「分断」や「対話」、「想像力」は現状のキーワードということでしょうか?

塩原:本書の元となったのは、私が勤務先の大学で開講している「社会学」や「社会変動論」の講義です。そこでは「対話」や「共生」という言葉は前々からキーワードになっていましたが、「想像力」の重要性について考え始めたのは比較的最近です。

 きっかけは、「越境社会」をテーマにした学際的な研究会を人文社会系の若手・中堅研究者と2014年に立ち上げたことです。そこでは、「越境」という概念で現代を読み解くことの有効性や、越境することで得られる、自分とは異なる人々やその人たちが生きる現実への想像力の重要性を議論しました。

 越境するということは、そもそも私たちの生きる社会に境界線が張り巡らされているということです。その境界線は物理的な国境だけではなく、文化の違いや貧富の格差、不平等や差別といった形で象徴的にも引かれています。そして社会が分断されるとは、ただ境界線があるだけではなく、私たちが境界線の向こう側に生きる人々の現実や思いを想像できなくなってしまうことです。

 最近、海外に目を向ければイギリスのEU離脱や、米国のトランプ政権の誕生、難民問題に端を発する欧州での排外主義の台頭などがありました。日本国内を見ても、在日コリアンを対象とするヘイトスピーチや差別は依然として深刻であり、神奈川県相模原市の障がい者福祉施設では、優性思想に感化された人物による大量殺人というヘイトクライムが起きました。私は神奈川県の多文化共生施策への助言や、外国人住民支援の現場との連携協働にも少し取り組んでいるので、相模原の事件や、川崎で起きたヘイトデモには個人的に強く思うところがありました。こうした出来事が起こる背景に、社会全体として、他者への想像力が枯渇していく分断の深刻化があるのではないかと感じました。

 それゆえ、格差や不平等、差別や排除といった従来からの社会学の切り口に加えて、「分断」という視点から現代社会を考察しなければならないのではないか、それを大学生にも考えてもらいたいと思ったのが執筆の動機です。

――社会的分断が世界各地で起きる現状を、社会学ではどのように捉えているのでしょうか?

塩原:たとえば、グローバリゼーションの進展との関係から捉えることができます。この本ではグローバリゼーションを「資本主義市場経済の拡大とともに国境を含むあらゆる境界がゆらぎ、世界中で政治、経済、社会、文化の相互浸透・相互依存が進行しながら、それが対立や葛藤を生み出していく過程」と定義しています。それはまさに「世界がひとつになりながら、分断していく」という一見矛盾した変化です。世界はシステムとしてはひとつになり、グローバルな価値観が広がり文化はハイブリッド化していきますが、そのような接触や混交がまさに摩擦や対立を生み出し、我々とかれらは違うという意識を高める。

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