この熱き人々

2017年11月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 いろいろなインタビューで、パイロットへの原点は子供の頃に「機動戦士ガンダム」に影響を受けたことだと語っている。

 「聞かれるとそう答えてきましたが、ガンダムだったかどうか。ヒーローものは好きでしたけどね。動機づけはあんまり意味がないと思うけど、幼稚園の頃からあこがれの職業はパイロットで、それだけは変わることがなかったですね」

 中央大学に入学すると、迷わずサークルは航空部に所属。グライダーで初めて空の経験をし、2年生の時にはアメリカで飛行機免許を取得している。

 「スカイツリーに上りたいというのと同じで、高いところに行くと楽しいって感じですかね。もっと飛びたい、次は技術的にうまく飛びたいという思いが募ってきたってことじゃないかな」

 子供の頃からのパイロットの夢を叶えるということでは、民間航空会社の機長を目指すという道もあったのではないか。

 「民間航空会社に就職するのは、ある意味理想だったかもしれないけど、僕が卒業した1995年はバブル崩壊の余波もあってか採用ゼロだったんです」

 グライダーの教官として空への夢を繋いでいた室屋は、1995年10月、22歳の時に兵庫県の但馬(たじま)空港で開かれたエアロバティックスの世界選手権を見た。

 「衝撃でした。生徒たちに鼻高々で教官をやっていた鼻がへし折られたというか……。操縦技術を極めるとはこういうことかと思いました。安全上のリカバリーなど勉強していたからこそ、すごさが理解できた。理屈としては説明できるけれど今の自分は全然操作できない。その時から、自分が目指すのはこれだと決めました。お金もかかるし悩みも多そうだけれど、もう生きる方向性で悩むことはなくなりました」

 

 世界一の操縦技術を目指す。日本では難しいことは明らかで、室屋はバイトに精を出し、お金をためて翌年渡米。チャンピオンを何人も育てたトレーナー、ランディ・ガニエのスクールに入った。ガニエが教えてくれたことは、「空を飛ぶ楽しさ」だったと室屋は言う。技術を極めるためのあらゆる困難に立ち向かっていけたのは、楽しいと思えたからこそ。楽しいと思えなければ乗り越えていくことはできなかったと述懐する。

 室屋の才能を見抜いたガニエは、エアロバティックスを本格的に習い始めて1年にも満たない室屋を世界選手権に出場させる。そして室屋は、まさかの予選通過という大健闘で恩師の期待に応えた。しかし、室屋の世界一を目指す道は、実はそこから何度か途絶えかかっている。恩師ガニエを事故で失った時、いよいよ経済的に行き詰まった時。だがその度に、背を向けきれずに再び空に戻ってきた。

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