迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年2月28日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

収入が途絶えたときの退路とは?

 ブルネイは資源枯渇の危機を意識していないわけではない。現に国家を支えてきた石油と天然ガス資源に対する依存からの脱却を図ろうと、産業の多様化に取り組んできた。太陽光発電やメタノール、アンモニア、さらにはハラール食品の製造流通ハブ化など様々な努力もなされてきた。だが、明らかな成果はまだ見られていない。原因は多様だが、国民のやる気のなさがその主因の1つではないだろうか。

 ブルネイと近隣諸国の関係は実に微妙なものだ。筆頭に言及すべきは、マレーシア。ブルネイの国土はマレーシアのサラワク州に囲まれる飛び地で、どこよりもマレーシアとのつながりが強いはずだ。私もこれを信じ、ブルネイの視察旅行にはマレーシアリンギットしか持っていかなかった。しかし、ブルネイを代表するいわゆる7ツ星のエンパイヤホテルでもブルネイドルへの両替を拒否された。市中心部の指定銀行店頭や両替店でしか両替できないという。

 驚いた。ブルネイから1000km以上も離れたシンガポールの通貨シンガポールドルが、ブルネイドルと等価に固定されており、ブルネイ国内でそのまま流通・使用されているのに、すぐ隣のマレーシアの通貨は両替さえ制限を受けている。

 距離のことを言ったら、もっと面白いことがある。ブルネイ本土からわずか50km足らずの沖合に浮かぶマレーシア連邦領のラブアン島(Labuan)。このラブアンは、1990年にマレーシア連邦政府がオフショア会社法を制定したことで、オフショア金融センターに指定され、国家規模の一大金融事業として発足した。現在はマレーシアのオフショア金融センターないし租税回避地として、東南アジアや中東の注目を集めている。言ってみればマレーシアのケイマン諸島のような存在である。

 将来的に資源の枯渇したブルネイが転身してオフショア金融を目指すとなれば、先発優位性をもつラブアンが強力なライバルとなるだろう。マレーシア政府の意図的な戦略か、偶然か定かではないが、結果的に先制効果を狙うものとなった。ブルネイにとっては、退路がひとつ減った。いや、マレーシアがブルネイのためにひとつの退路を作ったという見方もできる。

 第二次世界大戦終結後、ボルネオは日本軍の手から離れイギリスによる直接統治領になったが、1957年に先立って独立したマラヤ連邦の呼びかけに応じ、63年にシンガポール、サラワク、サバの英国領植民地が統合してマレーシア連邦が発足する。その当時、ブルネイだけが連邦に参加せず、英国植民地のまま残った。その主因はブルネイ沖の海底油田の利権であり、これをめぐって利害関係者たちにどのような思惑や打算があったのだろうか。

 前述の通貨協定をはじめ、今日のブルネイとシンガポールの関係は緊密である。ブルネイ国王がシンガポールにホテルを所有し、シンガポールで高度な医療を受けるブルネイ国民の定宿として機能している、という話を聞いたことがある。国王一族がシンガポールという国際金融センターを活用して資産を運用することも十分に考えられるだろう。

 その時間軸の延長線上で考えると、ブルネイの資源が枯渇した場合、シンガポールやマレーシアが何らかの形でブルネイを飲み込むことも不可能ではない。そう考えると、国王や政府から与えられた富で安定した生活を送っているブルネイ国民の運命は、すでに他者に握られていると言っても過言ではない。

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