この熱き人々

2016年9月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「子どもは持てなかったですね。開店までにも、えーっと驚くことが次々目の前に現れ、必死に乗り越え、何とか開店にこぎつけたけれどお客さまは全然来ない。手作りのお菓子やランチを出したり、どうしたらお客さまに喜んでもらえるのか必死でした」

 一生懸命に準備したものも、客が来なければ廃棄するしかない。残す人もいる。なぜだろうと、残りを自分で食べた。夢の中では人が集まって温かいはずだったのに。切なく悲しい現実を前に石村を支え続けたのは、自らにかけた呪文。

 「きっと大丈夫。きちんと手を抜かずにいいものを出していればお客さまは来てくれる。『絶対大丈夫』と毎日自分に言い聞かせていました。私の商いの基本のルールだと思ってます。商いの神様が無謀な素人の私に、変えてはいけないもの変えなければいけないものを教えてくれ、育ててくれたと思っています」

 ひっきりなしに電車接近の警報が鳴る踏切と、32年の年月を経た「KURUMINOKI」の木製の大きな看板は当時のままだが、もてなしのルールを貫いてきた店には今、ランチの受付時間の午前10時半に行列ができる。メニューは週替わり。観光客と地元の人が半々ぐらいだろうか。受付をすませた人たちは、雑貨の店で石村が選りすぐった生活用品や食品などを眺めたり、木の椅子と本棚のある待合室で雑誌を読んだり、奥にある衣料や小物の店へと散っていく。

新たなチャレンジ

緑に包まれるような「秋篠の森」 

 オープンから10年後に2号店を出し、さらに10年後、石村は「秋篠の森」へとまた新しい夢に向かって歩き出すことになる。2004年のことである。

 「秋篠寺の近くで、当時はペンションだった。そこにギャラリーがあり、たまたま作品を見に行ったら奥さんが出てこられ、引退しようと思っているけどこの場所にあなたがもう一度光を当ててほしい、と言われたんです。とても建物がいい感じで。ちょうど10年の約束だった2号店が終わる頃だったこともあり、スイッチが入っちゃったんですねえ」

 イメージはすぐにあふれてきた。ギャラリーは生かし、竹藪だったところを森に変え、ペンションを2部屋だけのホテルにし、食堂だった建物を奈良の食材を使うレストランにする。しかし、カフェとは違う。31歳の時から20年の実績を重ねてすでに経営者としての手腕を発揮していたとはいえ、すべてが新しい挑戦である。改装には費用もかかる。

 その頃、勤務していた大手企業を石村の懇願で退職して、従業員が40人に膨れた石村の会社で経営、経理、人事を一手に担当していた夫に、新たな挑戦をしたいと伝えた。妻の突然の申し出には毎度仰天しながらも意思を尊重してきた夫も、さすがにこれから背負う借金の額に反対したという。

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