この熱き人々

2016年9月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

季節感あふれる「なず菜」のひと皿

 そして今、森は育ち、レストランは満員の客の楽しそうな顔や笑い声に満ちている。この日のランチメニューは、山葵(わさび)の薄葛(うすくず)仕立ての長芋そうめん、山の芋団子・夏蕨(なつわらび)・冬瓜(とうがん)のあんかけ、鰹(かつお)の黒胡椒ソテーと旬野菜のサラダ、大和丸茄子と新生姜(しんしょうが)の葛うどんパスタ、メインの季節の揚物は月山筍(がっさんだけ)の磯辺巻き揚げ、ヤングコーン、吉野田舎こんにゃくのおかか揚げ、一夜干しイカのパン粉揚げ粒うにソースのせ、新牛蒡(しんごぼう)と春菊のかき揚げ。旬の食材を使い、器や盛りつけにも季節感を漂わせ、すべてに惜しみなく手間がかけられている。それにお膳とデザートで、税込み3240円。月ごとにメニューを変えるからリピーターが増えるのもよくわかる。

 「大和野菜は魅力があるのに京野菜や加賀野菜のように有名ではない。奈良の野菜は家で食べるものだったから、地味なんですね。奈良は夜が暗いとか遊ぶところがないとか言われるけど、奈良の朝はすばらしいんです。早く起きて東大寺の二月堂から町を眺めたら、うっすら靄(もや)がかかった眼下の町並みの瓦がとても美しい。奈良の最高の景色だと思ってます。興福寺だって、歩いていたらいつの間にか境内に入ってる。そんな懐の深い奈良が大好き」

 高松で生まれ、大阪に出て、京都を経て奈良の人になって30余年。石村の奈良への愛が、言葉の端々から熱く伝わってくる。

 その思いが、昨秋ならまちにオープンした「鹿の舟」を生み出した。古い家屋を改装した観光案内所「繭(まゆ)」と、奈良の食材を使った定食が人気の「竈(かまど)」、喫茶室とギャラリーの「囀(さえずり)」からなるスポットは、これからどんな場所に育っていくのだろうか。

 このために、再び大きな借金を背負った。リスクを負うことが必死の努力の糧(かて)になるからと石村は言う。たくましいチャレンジャーの顔があった。

 たったひとりで始めた店は、たくさんの雇用を生む複数の場に膨らんだ。あどけない夢は、その過程で成長し、厳しい現実に鍛え上げられ、石村を主婦から経営者に変えた。スタッフたちに「ゆっこさん」と呼ばれていた石村を、今はみんな「オーナー」と呼ぶ。「ゆっこさん」は気に入っていたけれど、ある時銀行の担当者に、この規模でそれではもう組織を保てないと言われ、渋々変えた。夢を叶えた時から現実を維持する責任と厳しい自覚が求められるのだと、その時に悟った。

 日々の暮らしが好き。料理が好き。何より人を喜ばせるのが好き。

 「私の人生はすべてがあふれるほどの『くるみの木』なんです」

 くるみの木は落葉高木。春に葉を出し、花が咲き、仮果(かか)をつけ、仮果の中に核果(かくか)があり、さらにその内側に種子が隠れている。見事な実を結んだひとりの主婦の大冒険は、最奥にどんな種子を宿しているのだろう。それはまだ石村自身にもわからないのかもしれない。

(写真・石塚定人)

いしむら ゆきこ/香川県生まれ。大手企業での店舗設計などの仕事を経て、84年にカフェと雑貨の店「くるみの木」を奈良市に開き人気を集める。04年には宿泊施設とギャラリー、レストランを併設した「秋篠の森」をオープン。企業の商品企画や自治体のまちづくり支援にもかかわる。
くるみの木URL:http://www.kuruminoki.co.jp/

  
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◆「ひととき」2016年9月号より

 

 


 

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