使えない上司・使えない部下

2017年10月11日

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吉田典史 (よしだ・のりふみ)

ジャーナリスト・記者・ライター

ジャーナリスト。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。
主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、
震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

「使える、使えない」について話せって…?

 「あの漫画家は使える」という言葉は、編集者から聞いたことはあるね。俺も何度か、使ったことがある。「使える漫画家」と言われる作家は、その作品で何をするべきなのか、よくわかっているよね。

 たとえば、女性向けのラブロマンスを描くとする。主人公の女の子はいかなるときも、恋にしらけてはいけないわけ。相手の男に常に夢中になるようにしていかないと…。その前提を崩して、恋に冷めたシーンを盛り込むのは、プロとは言えないと思う。

 ラブロマンスの暗黙の了解を心得ていて、その枠の中ですごい画力とアイデアをつきつけて勝負するのが、プロだろうね。俺は、それができなかった。アーティストとして、独自の路線を進みたくなるときがあるわけ。俺は、それで何度も失敗した。枠をはみ出すから、カルト的なファンがつく。だけど、その数は少ない。つまりは、売れないわけ。

 漫画というのは、描いてみるとおもしろいのね。はみ出すと、本当におもしろい。それで突き進むと、いつの間にか、「使えない漫画家」になり、月収3000円よ…(苦笑)。

「下衆な大衆の視線で描くんだ! 下から、世の中を見るんだよ」

 プロとして生きていこうとすると、まず、立ちはだかる壁がある。それは、自分が描きたいテーマやジャンルではないけど、描かざるを得ないこと。俺は、1989年に25歳でデビューした。編集者から与えられたジャンルは、ホラーだった。描きたいものではなかったけど、生きていくために描いた。血気盛んだったし、根拠なき自信があった。

 商業作家として描いて、描いて、描き抜こう。悪魔に魂を売ってでも、描いてメシを食っていこう。そんな思いだったのかな。

 当時、40歳ぐらいの鬼編集長と口論の繰り返しで、戦争みたいな日々だった。編集長との仕事は、10年ほど続いた。いつの間にか、仕事がめちゃくちゃ増えて、メシが食えるようになっていた。多いときは、年収1000万円を超えた。アシスタントも、1日で5人ほど抱えていた。

 鬼編集長から何度も叱れられた。

 「あなたが描きたいものを描いても、売れない。金にはならんよ。下衆な大衆の視線で描くんだ! 下から、世の中を見るんだよ。エリートサラリーマンなんか、ストーリーにいらない。たとえば、工事現場の肉体労働者が、きれいな奥様を襲うシーンを描くんだ。それを読者は読みたいんだ。それを描いてこそ、カネになるんだ」

 この編集長が、当時の俺にとって上司みたいな存在だった。ほかの漫画家にも厳しかったようだけど、多くを「売れる作家」に育てあげたらしい。つぶされた作家もいるんだろうけど。あの頃、俺は格闘家のような思いだった。来るなら、来い! そんな決意で、仕事をしていた。

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