障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2014年1月30日

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三阪:探り探り過ごした1年でした。本腰入れて何かをしなければ、と思って職業訓練校に行く準備を始めていた頃に車椅子ラグビー連盟の会長さんに「ニュージーランドで車椅子ラグビーの留学をしてみないか」と誘われたんです。

 両親には「無理に決まってる」と反対されましたが、自分は甘い人間なので誰も助けてくれない環境に行くのがいいと思って3日後には「行きます」と返事をしていました。

 1回目の留学は4カ月間。ラグビーと英語を学びに行きました。

初瀬:自ら考え決断し行動すれば自分が変わります。我々障害者の場合は特にそれが必要で、行動することによって自分が変わっていくことを実感できます。三阪さんの場合は変わるキッカケが車椅子ラグビーの留学だったということです。

 留学先ではラグビー中心の生活だったんですか?

三阪:練習は個人トレーニングを含めて5時間ぐらいで勉強は10時間ぐらいやっていました。午前中は語学学校へ行き、午後3時ぐらいまではトレーニングする日と図書館で個人勉強する日がありました。夜はチーム練習、その後家に帰ってご飯を食べて、お世話になっている家族に今日一日こんな勉強をしましたと英語で披露する時間がありました(笑)。

初瀬:障害の受容というのは時間をかけて徐々に徐々に受け入れていくもんだと思うのですが、三阪さんは、ニュージーランド留学に行って受容のスピードが早まったということですか? それとも行って、初めて受け入れ始めたということですか?

三阪:僕は入院中に自殺未遂を2回図っています。死ななかったし、死ぬ勇気がなかったんです。それは生きたいということだし、この体で生きていくんやと自分が決めたということです。ここが受容の始まりです。だからこれでもう大丈夫というような受容はありませんでした。

 留学に行って自分と同じ境遇の人たちと出会うことによって、車椅子生活になってもいろいろな選択肢があることを知り、生きる意味があることに気づいていくんです。だから自分にも何かができるかもしれないと思うようになりました。

 それに留学先の車椅子ラグビーチームは、障害者のスポーツを超えてものすごい意識の高さでやっていたんです。その中では自分が障害者であることを感じない生活がありました。 留学前に考えていた難しいことも、考え方ひとつで変えられることを学びました。

 それで「日本でもチャレンジしてみよう」と意識が変わったのが一番大きな受容だったと思います。

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