この熱き人々

2017年2月24日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 松本が興味を持っていたのは役者だった。日大芸術学部を受けたがすべった。それでもとりあえず東京に出てきたものの、役者になるにはどうしたらいいのかよくわからない。そうだ、役者には英語が必要じゃないのかと、一気にカナダに飛んでいった。そのうちお金がなくなって帰国、役者への道は全然開けずに、さらに食い詰めて父親にSOS。

 「どこか住み込みで働けるところはないかって聞いたら、父ちゃんの知り合いがいるから築地に行ってみろって言われて、家族経営の町の魚屋を紹介してもらって住み込みで働き始めたんです」

 初めて築地に行った時、なつかしい匂いがしたと松本は言った。魚から離れて生きるつもりが、結局、魚の匂いのする場所に戻っていた。住み込んだ魚屋は、扱う魚は多かったが安さが勝負の店。そこでの松本の仕事は、冷凍マグロの切り落とされた尾を拾ってくることだった。

 「捨てるところを拾う。それを磨いてブツ切りにするんだけど、何かみじめな気分になっちゃってね。父には言えなかった」

 それでも毎日河岸に行くうちに目は肥えてくる。2年ほど働いたある日、母親が体調を崩したから店を手伝ってほしいという父の願いに応えて、一度北海道に戻った。 

ほどよく脂の乗ったマイワシの目刺しは驚くほど上品な味わい

 「久々に父の店で、置いている魚や陳列の仕方を見て、ウチはいい魚屋なんだって初めて気がつきました。芸術とか言っていたけど、親父が自信満々だった意味がわかって、なかなかやるなと思った。その時、親父の目指したことをもっと完璧な形にしたい、そんな魚屋をやりたいって決めました」

 母親が元気になって、再び東京に戻ることになった松本は、ただ何となく働いていたそれまでとは違う。志ができた。

 「車で引き売りをしようと思って東京に戻ったんだけど、冷蔵ケースのついた車が高くてとても無理。結局、また前の店に戻ったんですけどね」

 そんなある日、都内ですごい魚を商っている店がテレビで紹介されているのを見た。こういう店で働いてみたいと願いながらデパートの鮮魚売り場を勉強のためにのぞいていたら、テレビで見た鮮魚店の名前を発見。これだ! と早速その店にすっ飛んでいった。

 「働いている店にはこういうわけで辞めたいんだけどと話して、その日のうちに働かせてくださいと頼みに行きました。妻子もいるんで給料はこのくらいください。でもその分は絶対働きます。将来は独立したいので勉強させてくださいって。当時、腰くらいまで髪を伸ばして三つ編みにしていたんだけど、その頭ではちょっとと言われたんで、翌日、坊主頭にして行きました」

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