あの負けがあってこそ

2014年12月18日

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 「いま落ちているところから、さらに先まで綺麗に切断して縫合すれば傷跡の処置だけで済むというもの。その次は、ただ切断された指を乗せるだけで、見た目に綺麗にはなってもただあるだけの状態。3つ目は、完全に治る確率は低いのですが、動脈(0.3mm)を顕微鏡手術で繋いで、さらに静脈がない状態なので小指に穴を開け、少しずつ血をたらしながら静脈ができるまで固定しながら治すというものでした。最後の治療方法だと1カ月間は固定されるので、ほぼ動けない状態になると言われました」

 ロンドン・パラリンピックまでは、わずか8カ月。島川は決断を迫られた。

募る悔しさと焦り

 「左手には多少障害が残っていますが、右手はほぼ動く状態だったので人差し指が使えなくなるのは困ります。一か八かで最後の治療方法を選びました。その入院が約20日間だったのですが、右手を固定したまま動けない状態で寝たまま過ごしました。0.3mmという血管の細さなのでちょっとしたことで血管が詰まってしまうそうで、もし、詰まってしまったら、そこから落とさなくてはならなく、まったく動けない状態でした」

 退院するときベッドから車椅子へ移動することができなかった。約20日間も固定され寝たままの状態だったために、筋力が落ちて身体を手で支えて持ち上げることができなかったのである。それどころか、固定されていた右手は固まったまま、手首から先がまったく動かせなかった。

 住まいに戻っても筋力が落ちては生活がままならないため、日本ウィルチェアーラグビー連盟の強化委員長であり、日本代表のヘッドコーチを務めていた岩渕典仁に相談したところ、「リハビリできる環境の中で入院してはどうか」と勧められ年明けから入院した。

 はじめはガチガチに固まっていた手首から先を動かすことだった。言い換えれば、それすらも出来ない状態からのスタートだったということだ。最終的には身体を持ち上げ、床から車椅子に移れるようになるまで戻らなければならない。

 さらにその先にアスリートとして、パラリンピックで戦える身体にしなければならないのだ。

 島川が入院している間に日本代表の合宿が国立障害者リハビリテーションセンターの体育館で行われた。

 動くこともままならない島川は日本代表をただ見つめているしかなかった。

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