2024年12月23日(月)

J-POWER(電源開発)

2019年2月20日

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2030年に世界の経済大国トップ10入りを目指すインドネシア共和国。 その成長を支える発電設備を開発するため日本の企業連合が現地に入った。 Making Historyの合言葉を胸にこの国の未来に想いを馳せる Jパワー(電源開発)の駐在スタッフらプロジェクト要員の動きを追う。
 

経済成長を後押しする
大規模発電プロジェクト

 東京ドームの48倍。この果てしもなく広大な敷地を前に、インドネシアのジョコ・ウィドド大統領は2015年8月28日、かつてない巨大発電所の建設着工を高らかに宣言した。

 ジャカルタから東へ約350km。中部ジャワ州バタン県の北岸部に、大規模な石炭火力発電所を建設する。急伸する電力需要に応えるため、この政府肝入りの国家プロジェクトが始まったのはその4年前、2011年のことだった。

25年間の長期売電契約を締結(2011年10月)。

 インドネシア国有電力会社(PLN)が募集した国際入札で、Jパワー、伊藤忠商事、現地アダロパワー社のグループが交渉権を獲得。同年10月、3社共同出資の事業会社PT. Bhimasena Power Indonesia(BPI)とPLNとの間で、合計出力200万kWの発電所が生み出す電力を25年にわたって供給する長期売電契約が成立した。

 インドネシア産の石炭を燃料とし、日本が誇る世界最高水準の発電方式と環境対策を採用。石炭の使用量とCO2の排出を抑える環境親和型高効率発電のモデル事業として、民間資本で建設・運営する同国最大規模の発電プロジェクトが発進した。

ボイラー立柱式には中部ジャワ州政府事務次官、バタン県知事など約100人の来賓が出席(2017年12月)

 「大事業の幕は切って落とされた。さあ、進めてほしい」。大統領の着工宣言を受けてそう激励された気がしたと、当時、プロジェクトの一員として東京のJパワー国際営業部にいた佐野正幸氏は振り返る。

佐野正幸 J-POWERよりBPI出向(土木担当) 1995年入社。石炭火力発電所の設計・施工監理等を経て、国際営業部時代にタイ駐在。買収案件を担当した後、東南アジアのプロジェクト管理や開発に従事。2011年より本プロジェクトに携わり、2016年11月よりBPI出向中。

 佐野氏は土木の専門家だ。現地で敷地造成が始まったのを受け、BPIの土木担当マネージャーとして赴任した。「土木工事は建屋建築などに先行する建設工程の一番手。遅れるわけにはいきません。この国の電力需給に大きな意味のあるプロジェクト。その責任の重さを日々感じています」と佐野氏は言う。

 インドネシアにとってこの事業は産業・経済の未来がかかる重大事案。2億5000万人を超える人口は東南アジア最大にして世界4位。その旺盛な個人消費に牽引され、電力需要も急増中。電力不足を避けるため、発電設備の増強は避けては通れない国策だ。インドネシア経済成長促進・拡大基本計画の一環でもあり、「Jパワーの威信をかけた挑戦」(佐野氏)でもある。

 その使命を帯びたJパワーからの現地駐在員は、現在約30名。海外案件としては過去最大となる陣容で、建設工事の施工監理と技術支援、運転準備等に当たっている。

プロジェクトを動かす
協力・連携・人財

インドネシア全土から優秀な現地雇用スタッフが集結。

 このプロジェクトは、設計・調達・建設の全工程をコントラクタ(建設業者)が一括で請け負って工事を進めている。基本的な性能は発注側から要求するが、実作業の大部分はコントラクタに委ねるのが定石だ。

 「とはいえ、発注側と業者側の視点は必ずしも同じではありません。発電所完成後の運転・保守を担う立場からすれば、長期にわたり安定的に運用できる品質の確保が最重要の課題。一方、業者側では作業効率やコストも無視できない。それでも『いいものを作りたい』というお互いの想いは共通です。業者側と一体となって、納得がいくまで話し合いを続けます」(佐野氏)

沖合から燃料を運び込むための揚炭桟橋を建設。

 例えば、沖合から陸地に燃料を運ぶための揚炭桟橋の建設では、設計段階の擦り合わせだけで1年以上を費やした。土木構造物に安易な妥協は許されない。何度も技術協議を重ねてようやく詳細仕様が固まり、1本目の杭が打設されたときの感慨は忘れられないと佐野氏は話す。

筬島(おさじま)章博 J-POWERよりBPI出向(機電担当) 1995年入社。石炭火力発電所の運転・保守・建設業務等を経て、国際営業部で中国などの開発案件を担当。2011年より本プロジェクトに携わり、14~16年にBPI赴任。17年12月より再出向中。

 電機設備担当の駐在員、筬島章博氏もカウンターパートのPLNとの協議での経験をこう話す。

 「詳細設計を検討するなかで、将来的な保守の観点から設備の一部に設計変更が必要になり、PLNに申し入れて何度も説明を行いました。ところが、一向に話が進まない。技術的にも安全性にも問題がないはずなのに、なぜなのか。解決へのヒントは、違うところにありました」

 文化が違えば、組織の動かし方も変わって当然、日本の道理がそのまま通じるとは限らない。筬島氏はかつて中国での案件で学んだ鉄則に立ち返り、この国の社会事情や行動様式を調べ、相手の基本的な考え方を理解することで難局を乗り切った。

 そこで大きな存在感を示したのが、現地雇用の社員である。BPIには現在、約150名のローカルスタッフがいるが、その多くは発電プラントでの実務経験を持つ即戦力で、中には数百倍の募集を勝ち抜いた人財もいる。「地場に根を張る彼らとの会話や情報交換が、現地の・流儀・を知るうえで非常に大きな力になりました。ローカルスタッフの協力と信頼がなくては、どんな案件も成功しないでしょう」と筬島氏は言う。

明るく人なつこいというローカルスタッフ。互いにフォローし合い、プロジェクトを進めていく。

 国家に貢献できる仕事に惹かれ、人財はインドネシア全土から集まってくる。「彼らは皆、このプロジェクトを誇りにしてくれています。そのことが何よりうれしいし、生き生きと働くその姿に、この仕事の魅力を再認識させられる思いです」。