そして、「リーダーがいたほうが、いろんなことが自分たちだけでできるようになるんじゃないのかな?」という先生の問いかけに、満場一致で「リーダーがいたほうがいい」という結論に至る。このプロセスを丁寧に踏むことには、もちろん理由がある。初めから「リーダーありき」ではなく、「リーダーとは自分たちの生活を良くするために存在するもの」という意識の下地をつくるためだ。この下地が、リーダーとして選ばれる側とリーダーを選ぶ側の双方に「責任感」を生み出すことにつながっていく。
「きちんとした人」ってどんな人?
もちろん、年長とはいえ幼稚園児だ。最初から責任感のある「リーダー決め」ができるわけではない。この先に待っている場面は、おそらく読者のみなさまもご想像の通りだ。
「オレ、やりたい!」
「私も!」
立候補する子どもがいる一方で、事態の進行を見守る慎重な子どももいるが、「オレも」「私も」の声が入り混じり各班の議論はにぎやかになってくる。そこで先生の出番となる。
「どんな人がリーダーだったら良いと思う?」
ここで、ある子どもから「きちんとした人」という意見が出る。すると再び先生の質問が飛ぶ。
先生:「きちんとってどういうことかな?」
子ども:「うーん、ちゃんとした人」
先生は苦笑いをしながらも、さらに質問を繰り返す。
先生:「じゃあ、どんな人のことを“ちゃんとしている人”って思う?」
子ども:「…。あっ、人の話が聞ける人!」
さらに子どもたちからは次々と意見が出る。この様子を学級通信から見てみよう。
「働き者の人」と真愛ちゃん。なるほど、仕事を一生懸命やれる人がいいのでは…と考えたのでしょうか。「いろんなことをたくさん考えられる人がいいと思う」と萌ちゃん。それを聞き「あっ! “なぞなぞ”とかでいろんなことばを考えたりとか?」と和輝くん。萌ちゃんの言葉を聞き、和輝くんは、いろんなことを知っている人(物知りな人)がいいんじゃないかと思ったようです。ですが、萌ちゃんの“考えられる人”というのは、和輝くんの“考えられる”とは違っていました。
「そうじゃなくてね、みんなで何か考える時に“こういうのがいいんじゃないか、ああいうのがいいんじゃないか”っていろいろ考えられる人がいいと思うの」と言う萌ちゃんです。それを聞き「あぁ、そういうことね」と納得の和輝くん。こんなやりとりを聞きながら、他の子どもたちも“そうか、そうか”と共通のイメージが持てていくようでした。
「考えられる人」という意味では、また別の意見も出ました。「あのね、いろんなことを考えられる人」と言う二奈ちゃん。“ん? 萌ちゃんと同じ意見なのかな?”と思いつつ「萌ちゃんが言ってるのと同じことではないの?」と聞くと、首を横に振る二奈ちゃんです。「う~んとね…」と言いながら、自分の頭の中を整理している様子。そして「自分で考えて決められる人のこと」と二奈ちゃんでした。