アメリカのジミー・カーター元米大統領が29日、米ジョージア州プレーンズの自宅で死去した。100歳だった。活動拠点だったカーター・センターが声明で明らかにした。
息子のチップ・カーター氏は、「父は英雄でした。私にとってだけでなく、平和と人権と無私の愛を信じるすべての人にとって、英雄でした」とコメント。
「こうした共通の信念を通じて、私たちきょうだいは世界の人たちと一緒に、父を共有しました。父は多くの人を結び付ける人で、そのおかげで私たちにとっては世界が家族です。皆で共有する信念に沿って生き続けることで、皆さんが父の思い出を尊重してくださる、そのことに感謝します」と、チップ氏は述べた。
カーター・センターによると、カーター元大統領の遺族はジャック、チップ、ジェフ、エイミーの子供4人と孫11人、ひ孫14人。1946年に結婚した妻ロザリン氏は昨年11月に亡くなっている。孫も1人、亡くなっているという。
南部の農家、ホワイトハウス、ノーベル平和賞
海軍を経て実家のピーナッツ農家を継ぎ、ジョージア州議会議員、同州知事を経て、1976年の大統領選に民主党から立候補した。
ウォーターゲート事件の余波が続くアメリカで、国民に決してうそはつかないと約束。事件で大統領を辞任したリチャード・ニクソン氏の副大統領から後任となった現職のジェラルド・フォード大統領を破り、1977年に第39代大統領に就任した。
大統領として、ヴェトナム戦争の徴兵忌避者に恩赦を与えた。南部出身者ながら、黒人と白人の生活空間を分離する政策を否定し、就任演説では「率直に申し上げる。人種差別の時は終わった」と宣言。アフリカ系アメリカ人の公職任命を積極的に進めた。
女性の権利推進にも取り組み、政権幹部に複数の女性を任命。妻ロザリン氏には、ファーストレディとして国民のため積極的に活動するよう応援した。
アメリカ大統領として初めて気候変動問題を重視し、ホワイトハウスの暖房温度を下げて自分はジーンズやセーターを着て過ごした。ホワイトハウスの屋根には太陽光発電パネルを設置したが、後任のレーガン大統領に撤去された。アラスカ州の何百万エーカーもの原野を開発から保護するための環境保護法も成立させた。
国際舞台では、1978年にエジプトとイスラエル間の歴史的な平和条約に至るキャンプ・デイヴィッド合意を仲介した。1979年には、ニクソン政権の路線を継承し、中国との国交を樹立した。1979年12月のソヴィエト連邦によるアフガニスタン侵攻に対抗し、1980年のモスクワ五輪をボイコットした。
1979年2月のイラン革命に伴う第2次石油危機で、世界同時不況となるとアメリカ経済も低迷。これが支持率低下につながった。
イラン・テヘランにおけるアメリカ大使館人質事件の長期化と、1980年4月の米軍による救出作戦失敗で支持率が一気に急落し、1980年大統領選では共和党のロナルド・レーガン氏に大敗した。この時の大統領選でカーター氏を支持したのは6州のみだった。
退任後は地元ジョージア州に設立した「カーター・センター」を拠点に、平和、環境、貧困対策、人権などのために絶え間なく働く活動家となり、広く再評価されるようになった。アメリカ大統領経験者としてさまざまな紛争地を回り、各国要人と対話を重ね、平和仲介のために働いた。こうした活動が評価され、2002年10月にノーベル平和賞を受賞した。
2015年にがん治療を受けていると公表したのち、2023年2月には「残された時間を家族と過ごす」として、自宅でホスピス・ケアを受けると発表した。妻ロザリン氏は、2023年11月に亡くなっている。
「まっとうな人」
カーター夫妻と長年にわたり親しく交流したバイデン大統領夫妻は声明で、「アメリカと世界は今日、傑出したリーダーと国家指導者と人道家を失った」としのんだ。
「私たちは60年以上にわたり光栄なことに、ジミー・カーターを親友と呼んできた。しかしジミー・カーターの何が傑出しているかというと、アメリカと世界各地で彼に一度も会ったことのない何百万人もの人も、彼のことを親友と思っていたことだ」として、バイデン夫妻は「彼は思いやりにあふれ、倫理的に澄み渡っていて、疫病を撲滅し、平和を築き、公民権と人権を前進させ、自由で公平な選挙を推進し、家のない人に家を与え、常に社会で最も力のない人たちを代弁していた。世界中の人たちの命を救い、暮らしを向上させ、変化させた」とたたえた。
バイデン氏はこの後、カーター氏追悼のための記者会見を開き、カーター氏が抱き続けた価値観はアメリカと世界中の人の手本になり得ると述べた。海軍士官、ジョージア州知事、アメリカ大統領と歴任しながら、本質的には「日曜学校の説教師であり続けた人」だとして、「私たちの同時代人というだけでなく、時代を超越した人だ(中略)彼が大事にした価値観が消えてなくなるなど、決してあってはならない。誰もがもう少しジミー・カーターのようになろうとするのが、みんなにとっていいことだ」と強調した。
バラク・オバマ元大統領は声明で、カーター氏が日曜学校で教えていたジョージア州プレーンズのマラナタ・バプテスト教会に世界中から大勢が集まっていたと振り返り、多くの人はカーター氏の大統領としての業績のために教会を訪れただろうが、「日曜の朝にあの教会にいた大勢は、もっと根本的なことのために来ていたはずだ。つまり、カーター大統領がまっとうな人だったからだ」と書いた。
「ウォーターゲートの影が残る時代に大統領に選ばれ、ジミー・カーターは有権者に、自分は常に本当のことを言うと約束した。そしてその通りにした。結果がどうなろうと、公共の利益を推進しようとした」とオバマ氏は書き、「品位と尊厳と正義と奉仕の人生を送るとはどういうことかを、彼が全員に教えてくれた」としのんだ。
カーター氏は今年の大統領選で、民主党候補のカマラ・ハリス副大統領に一票を入れられるようになるまでは生きているつもりだと述べ、実際に10月1日に100歳になって間もなく、期日前投票を済ませた。
訃報を受けてハリス副大統領は声明で、カーター氏が「優しく賢明で、素晴らしく品位と礼節のある人だった」としのんだ。「その人生と業績は今も私を奮い立たせてくれるし、後に続く人たちを今後も何世代にもわたり奮い立たせることでしょう。この世の中は、カーター大統領がいたことでより良い場所になりました」と述べた。
ドナルド・トランプ次期大統領は自分のソーシャルメディア「トゥルース・ソーシャル」で、「ジミーは大統領としてこの国の転換点にあって、さまざまな難問に直面した。すべてのアメリカ人の人生をより良くするため、彼は全力を尽くした。そのことに私たち全員は感謝すべきだ」と書いた。
イギリス国王チャールズ3世は声明で、「カーター元大統領の死去を知り、非常に悲しく思っています」とコメント。
「献身的な公僕で、平和と人権の推進に人生をささげた人です。その熱意と謙虚さは多くの人を突き動かしました。私は元大統領が1977年にイギリスを訪れた際のことを、とても懐かしく覚えています」と国王は振り返り、「カーター氏の家族とアメリカ国民のことを思い、祈っています」といたわった。
(英語記事 Former US President Jimmy Carter remembered for 'bygone era' values and 'kindness'Jimmy Carter: From peanut farmer to one-term president and Nobel winner)