実際に子どもたちは、先生から与えられたヒントをもとに自分で必死になって考える。「答えを教えて!」という子どもはいない。この子どもたちの姿を見ていると、「いつの間に、答えを自分で考えようとせずに他人に依存するようになったのだろう?」という疑問が頭をよぎる。この原因究明はさておき、現代が「自分で考える」ことが求められている時代であるのはいうまでもないだろう。言葉を獲得していく過程はある程度「覚える」という側面もあるのだが、風の谷幼稚園ではこの過程を「自分で考える機会」と捉え、一つの言葉を丁寧に教えながら、子どもたちには、「自ら思考すること」を促しているのである。
言葉の指導で先生も育つ
そして、この思考力の中でもとりわけ重要なのは「質問する力」だろう。うまい質問ができれば、より早く答えを導き出すことができる。そして、本質に迫っていくことができる。そこで、この「言葉の指導」においては、子どもたちの質問の仕方についても、きめ細かい指導が行われることになる。例えば、以下のようなやりとりが先生と子どもの間で交わされることになる。
子ども: 「それは大きいですか?」
先生: 「大きいっていうのは何と比べて大きいって言ってるのかな?」
子ども: 「それは海に住んでいますか? 陸に住んでいますか?」
先生: 「生き物が住んでいるのは海と陸だけかな?」
子ども: 「あっ、それは海か陸か空のどこに住んでいますか?」
前者の例では、子どもたちに基準を共有することを促している。「言葉の指導」は、子どもたちが先生に質問を投げかけ、それによって明らかになったことを集積しながら次を予測し、最終的にチームで答えを導き出すゲームである。であれば、ある質問が他の子どもにとってもヒントとなることが望ましい。このように質問の仕方を少し変えれば、他の子どもの参考にもなるし、答えに早くたどり着くことができる。
そして、後者の例では、論理的に洩れのない思考を行うことによって、答えを絞り込んでいく質問の仕方を教えている。つまり、「空に住む生き物(鳥)」が答えの対象になるかどうかが、この質問で明確になる。
このようなプロセスを経て、子どもたちの間には「論理的に物事を考える」という下地がつくられていくのである。
このように、漠然としたテーマに対して的を絞りこんでいく「質問する力」を教えることは、先生の技量が問われる過程でもある。決してパターン化できない子どもたちからの質問を的確に受け止め、その質問内容をより精度の高いものに指導していくことは極めて高度な指導といえるだろう。しかし、園長が若い先生たちに求める水準は極めて高いものだ。それは、この「言葉の指導」は知性が大きく成長する時期である年長クラスの子どもにとって非常に重要なカリキュラムであるとの認識からだ。そして、この高い要求に答えようと若い先生たちも必死で学ぶ。