チュニジアからエジプトへと飛んだ革命の火種はどこまで広がるのか。
国家と国民の間にある生活上の「協約」、長期政権など、
アラブ諸国の共通項を知ることが、理解の助けになる。
編集部:今回のチュニジアのデモは、露天商の青年が焼身自殺をしたことがきっかけで、拡大したといわれています。失業や貧困を放置する、腐敗した政権への抗議と受け止められて、抗議行動のシンボルとなりました。ウィキリークスにも、ベンアリー一族や政府高官が富を独占しているようだとのリークがありました。
中東にはオイルマネーがあるというイメージもありますが、一般的な国民の生活(就業率や生活、教育等)はそれほど脆弱なのでしょうか? あるいは、これはチュニジアに特徴的な問題だったのでしょうか?
池内恵・東京大学先端科学技術研究センター准教授(以下「――」) チュニジアやエジプトなど、アラブ世界の大規模な天然資源を持たない国では、食糧をはじめとする物価の高騰と高い失業率が大きな政治問題となっています。2007年から2008年にかけて、世界規模で食糧や燃料が高騰し、各地で暴動などを惹き起しました。アラブ諸国も例外ではありませんでした。今年もまた食糧の世界市場で価格が上昇しつつあり、アラブ諸国の一般市民の生活への打撃が予想されています。
さらに、アラブ諸国の場合は固有の歴史背景があり、物価高騰は大きな政治的意味を伴います。チュニジアや、エジプトなど、1950~60年代に成立したアラブ社会主義の体制では、ある種の「暗黙の協約」が政権と国民の間にあるものとされてきました。それによって、国民は最低限の生活を保障されていたのです。
だいたいのイメージで言うと、「国は国民に低価格でパンや砂糖や食用油、紅茶などの食糧を供給する。教育は無料。大学を出ると公務員・国営企業で雇ってくれる」。
このような最低限の生活が国民に保障される代わりに、政治的自由は制限されるという「取り引き」が国と国民の間にあるという暗黙の了解が、1990年代まで続いていました。
しかし財政上このような協約は立ち行かないものでした。その結果、公務員の給料は有名無実な小額で、出勤しても「お茶を飲んでいるか、電話しているか、あるいはお祈りをしている」と揶揄されるような、肥大化した非能率的な政府機関・国営企業の異様な光景が、アラブ諸国の典型的な風景となっていました。
1990年代初頭から、アラブ諸国はIMFの構造調整計画を受け入れ、行きつ戻りつしながらも、経済自由化を進めてきました。それによって補助金や給付は切り下げられていきました。
自由化によって、外資を導入した民間部門が発展し、これまでは入ってこなかった商品も市場に出回るようになり、一見生活は豊かになったのですが、政権と結びついた一部の階層が利益を得るのみで、国民の多くが取り残されたと感じてきました。食糧補助金が削減され、穀物の国際市場の高騰を政府が吸収しなくなったことから、近年急激にパンや油や砂糖などの小売価格が上昇し、不満が募っていました。直接的には、食糧価格の高騰によって、政権との「協約」が破れたのを実感したことが、広範な国民が政権への信頼を失った大きな要因と思われます。