2024年12月13日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2018年4月29日

(2017.2.25~4.26 61日間 総費用13万2000円〈航空券含む〉)

インド式結婚式

 3月12日、承前。タイ寺の計らいで、バングラデッシュ寺のホテルのような宿坊でのんびり過ごす。日が暮れてから散歩に出かけた。適当な食堂を探そうと歩いていると、タイ寺とブータン寺の間の通りの一角が賑わっている。

 ステージが設けられて楽団が演奏して女性ダンサーが2人踊っている。周囲は近隣の住民や観光客で埋め尽くされている。ステージの傍らには様々な料理・飲み物を提供する屋台が並んでおり、横に入った路地にテーブルと椅子が用意されている。

結婚披露の仮設ステージでの伝統舞踊

 ステージの左側にきらびやかに正装したカップルが座って来客に挨拶している。結婚披露宴のようである。カップルに「Congratulation! Happy Wedding!」と適当に祝意を述べてから写真を撮らせてもらった。しばらくダンスを見てから、屋台をまわって食べ物とジュースを調達してテーブルについて食事をした。シシケバブ、チキンカレー、野菜の煮込みなど豪華な夕食となった。

通りは来客や近隣の人々で一杯

 同じテーブルに近所のレストランで旅費稼ぎのためにアルバイトをしているイタリア女子がいた。彼女曰く、新郎はブッダガヤの有力者のファミリー後継者で、新婦は近くの村の地主の娘とのこと。前夜の披露宴では新婦の実家で数百人が集まったという。イタリア女子もレストランのオーナーに誘われて村の披露宴に参加したが、宴会は深夜まで続いて午前4時頃にブッダガヤに戻ったとのこと。

 やはり同じ宗教で同じ階級の価値観を共有するいわゆる“釣り合いの取れたカップル”が幸せになるのであろうか。インド的結婚観を間近に体感したひと時であった。

日本寺“仏心寺”

ブッダ・ヘヤ―の床屋とは?謎のヘヤ―スタイルである

 3月14日。タイ寺の青年の好意でバングラデッシュ寺に2泊させてもらったが、長逗留するのはさすがに気が引けた。ブッダガヤにはタイ寺、日本寺(大乗仏教系、日蓮宗、全国仏教界など)の他にチベット、カンボジア、中国、ベトナム、ミャンマー、ブータン、台湾、モンゴルなど各国の仏教寺院が点在している。意外なことに韓国系寺院は見当たらなかった。

朝早くからマハーボーディ―寺院に参拝する東南アジア系の巡礼者の一団

適当な宿坊がないかと歩いていたら、“仏心寺 宿坊”という看板を発見。日本人僧侶は一時帰国中で留守であるが、宿坊は空いているとのこと。中世の修道院風にベッドが並んでいる共同部屋(ドミトリー)が1泊150ルピー(≒270円)というので即決。窓が小さく風通しが良いので、日中でも涼しく快適である。屋上からの眺めも良く、共同キッチンもあり居心地が良いので、結局9日間も滞在することになった。

メキシコ女性Aさんの祈る生活

 共同部屋には2人の同宿者がいた。1人は日本人のOさん73歳、もう1人はメキシコ女性のAさんである。Aさんはどうも正体不明である。毎朝5時前に起床してベッドの上で正座して瞑想(meditation)している。しばしばOさんと一緒に瞑想している。

ブッダが悟りを啓いたマハーボーディ寺院(世界遺産)に向かう参道

 6時前に近所の別の日本寺に出かけて座禅をする。そして参加者全員でchanting(お題目を唱和するということのようだ)するというmorning routine(朝の勤行)をしてから、散歩して簡単な食事をして10時頃に戻って来る。それから読書したり手紙を書いたりして静かに過ごしている。Aさんは菜食主義者であり昼も果物しか口にしない。

 午後はどこかに出かけて4時頃に戻ってきて再び正座して瞑想(座禅?)してから、どこかのお寺の夕方の勤行に出かける。修道女のような生活態度である。

Aさんは高名な詩人でデザイナー

 或る日の午後、Aさんが暇そうにしていたので雑談をしたら、彼女は詩人でブックデザイナーもしているとのこと。彼女は元々米国人。メキシコ人の男性と結婚してメキシコに帰化。その後離婚して、現在は一歳半になる孫がいるとのこと。現在もメキシコに在住しているが、毎年世界各地に長期旅行している。

マハーボーディ寺院の大仏塔に参拝する人々の行列

 子供のころから東洋哲学に惹かれ、学生時代に仏教に改宗。彼女の詩は外国にも紹介されて翻訳版も出版されている由。以前日本政府の文化交流プログラムの招待を受けて、日本各地を回って講演したり日本の文学者・詩人と交流したりしたという。

 本来であれば非常に興味深い女性であるが、残念ながら彼女の話を充分に理解できなかった。彼女の話しているテーマが非常に抽象的であり、しかも話題が次々に展開、飛躍するので理解が追い付かなかったのである。

 おそらく東洋哲学や現代詩という分野に見識のある人間であれば多少英語が理解できなくても意義深い交流ができたのではないか。


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